会うことが許された……?
その言葉にあっと閃《ひらめ》くものがあった。
なんだ。そういう意味か。
日美香の謎めいた言葉の意味を素早く悟って、武は、拍子抜けしたように、また布団の上にどっと横になった。
「それって……大神とかいう像のこと?」
そう聞くと、日美香は深く頷《うなず》いた。
日の本寺の境内の隅に小さなお堂があって、そこには、この村で祭られている蛇神を象《かたど》った青銅の像が安置されている。
古くから秘仏とされたその像は、神家の血を引く限られた者しか拝観が許されていない。本来ならば、いくら父を通して神家の血をひいているとはいえ、新庄家の人間である武には、その像を見る資格はなかったのだが、お印が出たということで、寺に挨拶《あいさつ》に行った折りに、老住職からはじめて拝観を許されたのだ。
それは、上半身は逞《たくま》しい武人の姿、下半身はとぐろを巻いた蛇という、半人半蛇の、魔神のような異様な像だった。
「わたしの実母《はは》は、この村で日女《ひるめ》と呼ばれる巫女《みこ》だったのよ。色々事情があって、この村で育ったわけではなかったけれど、どこで生まれ育とうと、日女の血を引く女は日女なの。その日女である母が生んだ子供は、すべて大神の子……」
日美香はそう説明した。
「そうじゃなくってさ」
武は、焦《じ》れたように説明を遮った。
「俺が聞いてるのは、あなたの『生身の』父親は誰かってことなんだよ。大神だかなんだか知らないが、青銅の造り物に、女を孕《はら》ませることはできないだろ?」
当人を前にして、少々露骨すぎる言い方だったかと、口にしてから、「しまった」とすぐに後悔したが、日美香は、さほど不快そうな様子も見せずに淡々と言った。
「そういう意味での『父親』なら、わたしが生まれる前の年に、大神祭で『三人衆』に選ばれた村の青年の中にいるのでしょうね」
「え。ってことは……」
武は目を丸くした。
「この村では、日女は神妻として、人間の夫をもってはならないと決められているけれど、それは表向きの話で」
日美香はそう言って、日女と「三人衆」と呼ばれる村の青年たちの関係について、簡単に説明した。
「……つまり、その年の大神祭で、この役に選ばれた三人の若者だけが、翌年の祭りまでの一年間、日女の恋人になることが許されるわけ。そして、その結果、日女に子供ができても、その子供は大神の御子ということになって、現宮司の籍に入れられ、神家の子供として育てられるのよ」
「……」
そういうことだったのか。どうりでこの家に子供が多いはずだ、と武は改めて納得した。子供の全部が叔父の実子ではないらしいということは、それとなく聞いてはいたのだが、まさか、こんなシステムになっていたとは……。
「でも、あくまでも、『三人衆』というのは、大神の御霊《みたま》がこの世に現れるときの仮の姿、いわば器にすぎないのよ。だから、この村では、日女に子供が生まれても、誰も、その子供の父親が『三人衆』の誰かなんてことは気にもとめないし、時には、それが誰なのか分からないこともあるのよ」
時には、それが誰なのかも分からないこともある……?
日美香の話を聞きながら、おやと思った。村の人間には分からなくても、当の日女には分かるのではないか。たとえ一時的とはいえ、恋人に選んだ男なのだから……?
「だけどさ、村の連中は気にとめなくても、あなたはどうなの? 自分の父親が誰かってこと、全く気にならないの? 知りたいとも思わないわけ?」
そう聞くと、
「正直に言うと、最初は少し気になったわ。知りたいとも思った」
しばらく考えるように黙ったあと、日美香はそう答えた。
「そうだろ。もし、俺が同じ立場だったら、絶対、知りたいと思うぜ。で、調べたの?」
「ええまあ。お養父《とう》さんに頼んで、当時の記録から、わたしが生まれた前の年に務めた『三人衆』の名前を調べて貰《もら》ったのだけれど……」
「で、どうなったの? 分かったの?」
武は唾《つば》を飲み込んで先を促した。
「三人の名前は分かったわ」
「それで?」
「それだけ」
「それだけって?」
「三人の名前が分かったところで、それ以上調べるのをやめたのよ」
「なんでよ?」
「だって、それ以上調べてもしょうがないもの。この三人の中に実父《ちち》がいるとしても、その人は、今では家庭をもって、妻や子供もいるわけでしょう? そんなところに、いまさら、娘ですなんて訪ねて行っても、相手も困るだけでしょうし、ご家族の方たちだって決して良い気持ちはしないと思ったから……」
「うーん。まあ、それはあるかもね。もし、俺がその家族の立場だったら、やっぱ、ちょっと嫌かもな。ある日突然、親父の隠し子かなんかがうちにやってきて、おまえのきょうだいだとか言われたらさ」
「……」
「おふくろだって傷つくだろうし。あの親父なら、どっかにそういうのが一人や二人くらいいてもおかしくないんだけどね」
「……それで、いろいろ考えて、これ以上|詮索《せんさく》するのはやめたの。わたしの父は大神、そして、戸籍上の父は今の宮司様。そう思うことにしたのよ」
「ふーん、そうか。でもさ、下手に追及して、こいつかよって思うようなチンケな野郎が父親と分かるよりはいいかもね。神様が父親なら最強だもんな」
武としてはそう答えるしかなかった。
「そうね……」
日美香は苦笑しながらそう言ったが、
「それより、水枕、ぬるくなってない?」と話題を変えるように突然聞いた。
「そういえばちょっと……」
「水、替えてきてあげる」
日美香はそう言うと、アルバムを脇に置き、武の頭の下から水枕を取り出すと、それを胸に抱えるように持って部屋を出て行った。