その夜。
座敷で夕食を済ませた神郁馬が自分の部屋に戻ってくると、暗い和室の中には、人影があった。
その人物は、畳の中央にごろりと仰向けに寝ていた。窓から入る月明かりで、照明をつけなくても、その人物が、二つ折にした座布団を枕がわりにして、片腕で顔を覆うようにして寝ているのが分かった。傍らには、スポーツバッグのようなものが置いてある。
顔は見えなかったが、姿形から、それが誰であるのか、郁馬にはすぐに分かった。ここでこんな風に振る舞えるのは一人しかいない。子供の頃からこの部屋を共有していた、末弟の智成だった。
「……帰っていたのか」
戸口のところで声をかけると、旅の疲れからか、うたた寝しかけていた弟は、はっとしたように顔を覆っていた腕をはずし、目をこすりながら、起き上がった。
郁馬は戸口近くにある照明スイッチを押して、天井の明かりをつけた。
「ああ、兄さん。ただいま」
智成は、まぶしそうな顔であくびをしながら言った。
「遅かったじゃないか。昨日までには帰るって話だったのに」
まだ大学生ではあったが、やはり日女の子である智成も、毎年、大神祭のときは、神官として祭りを手伝うために、数日前には必ず帰省してきた。
「すみません、直前にやぼ用ができちゃって」智成は頭をかきながら言った。
「夕飯は?」
「途中で食べてきました」
「じゃ、風呂《ふろ》でも……」
浴びてきたらと言いかけて、郁馬は思い出したように言った。
「……例の件、どうなった? 何かわかったか?」
この弟には、喜屋武蛍子が沖縄にいたころの情報を仕入れさせていた。
「そうだ。その件なんですが、大変なことが分かったんですよ」
智成は、俄《にわか》に眠気のさめたような顔でそう言うと、傍らに置いたスポーツバッグを探って、中から、かさ張った大判の茶封筒を取り出した。
「大変なこと?」
郁馬は部屋に入ると、後ろ手で襖を閉めた。
「やっぱり喜屋武という女と、武を刺した女とは知り合いだったのか?」
そう聞くと、智成は、手にした茶封筒の中から探偵の報告書らしきものを出し、それを郁馬に渡した。
「いや、それが……。まあ、ちょっとこれを見てください。あの犯人の女は喜屋武蛍子の知り合いというよりも、喜屋武の姪《めい》っ子の知り合いだったようです」
「喜屋武の姪っ子って、姉の子供で、今は別居しているという?」
郁馬は、弟から手渡された報告書らしきものに素早く目を通しながら聞いた。
「そうです。名前は照屋火呂。二十歳。東京の某私立大学の教育学部に在学中です。この姪が、あの知名という女とは幼なじみで、玉城村では、家も近所ということで、まるで姉妹のように育ったらしいんですよ。しかも、あの事件が起きる直前まで、二人でマンションを借りてルームシェアのようなことをしていたと」
「……」
「ただ、武様が巻き込まれた事件に関しては、知名という女が一人でやったことで、この照屋火呂という娘は何もかかわっていなかったようですから、あれは偶然にすぎなかったみたいですが」
智成はそう言って、
「でも、驚いたのは、その照屋火呂という娘のことなんです。この娘、玉城村ではちょっとした有名人だったらしいんですよ」
「有名人?」
「子供の頃から凄《すご》く歌がうまくて、沖縄の民謡コンクールでは最年少で優勝したこともあったそうです。それともう一つ、その娘には、子供の頃から、妙な噂があったというんです……」
「妙な噂?」
「海蛇《イラブー》の生まれ変わり、だという噂です。なんでも、生まれつき、片方の胸の上に薄紫の蛇の鱗《うろこ》模様の痣《あざ》があったために、そんな噂がたったとか……」
「なんだって」
郁馬は思わず声をあげた。
「しかも、それだけじゃないんです。八歳くらいの頃、海で溺《おぼ》れて死にかけた弟を生き返らせたという伝説があるそうです。そのせいか、神女《のろ》からは、『神の子』とまで呼ばれていたと……」
「弟を生き返らせたって……まさか、その娘に死人反生《しびとはんじよう》の能力があるということか?」
「さあ、そこまでは。ただの噂にすぎないのかもしれませんが。でも、僕もその報告書を読んで、まさかと思ったもんだから、この火呂という娘のことをもう少し調べてみたんです。あの事件以後、犯人の女が自殺してしまったこともあって、いったんは、叔母のマンションに戻ってきていたようなんですが、また別にワンルームマンションを借りて、そちらに移ったと聞き、その新居を探り当てて張り込んでいたら、ようやくこんなのが撮れました」
智成は、さらにバッグを探って、数枚のスナップ写真を取り出すと、それを兄に見せた。そこには、隠し撮りされたらしい、若い娘が写っていた。
「これは……」
その写真を一目見るなり、郁馬は驚いたように目を見開いた。