部屋に一人残った郁馬は、本格的に報告書を読み始めた。
それによると、照屋火呂の戸籍上の父親は、照屋|憲市《けんいち》といって、沖縄玉城村で漁師をしていたようだが、昭和六十三年、漁船の転覆事故で海難死している。
その後、残された妻の照屋|康恵《やすえ》は、小学校の教師をやりながら、火呂と豪という二人の子供を育てていたが、こちらも、平成七年に末期癌による病死をしていた。
両親に先立たれた姉弟は、姉の方の大学進学をきっかけに、共に上京して、叔母にあたる喜屋武蛍子の元に居候するはめになった……。
しかし、これによると、火呂の出生地は玉城村ではなく、康恵が東京にいた頃に、未婚のまま生んだ私生児ということになっている。まだ赤ん坊だった火呂を連れて故郷の沖縄に帰ってきたあとで、照屋憲市と結婚し、やがて豪が生まれたということらしい。
未婚のまま生んだ私生児……?
もし、火呂が倉橋日登美の娘だとしたら、照屋康恵が東京にいた頃に、何らかの形で、日登美と接点をもち、彼女が産み落とした双子の片割れを引き取ったということか。
そして、葛原八重同様に、その子を実子として育てた……。
そう考えれば辻褄《つじつま》は合う。
それがどのような接点であったかまでは分からないが、東京のどこかに、当時、倉橋日登美、照屋康恵、葛原八重の三人の女たちが一点で交わる「場所」があったに違いない。
郁馬はそう確信した。
やはり、照屋火呂は日美香の双子の妹だ。これはもう間違いない。
そして、おそらく、日美香が、葛原八重の突然の事故死がきっかけで、その遺品から、出生の秘密を知ったように、この火呂という娘も、照屋康恵の病死がきっかけで、自分の出生について疑惑をもったのではないか。
それは康恵の遺品から感づいたのかもしれないし、あるいは、末期癌による病死ということからすると、養母が遺書か何かを残していたとも考えられる。
それで、実母や実母の生まれ故郷である日の本村のことをもっと知ろうとして、叔母である蛍子に相談したとしたら。そして、その叔母には、たまたま探偵社を営む別れた恋人がいた……。
そうか。
これで話がつながった。
なぜ、喜屋武蛍子が、元恋人の探偵を使ってまで、倉橋日登美やこの村のことを執拗《しつよう》に調べようとしていたのか。
その動機がようやくつかめた。
姪の出生の詳細を調べるためだったに違いない。
共に出版関係者ということで、てっきり、達川正輝の線かと思っていたが、そうではなかった。全く別のルートからだったのだ。
これは……。
すぐに次兄に報告しなければ。
郁馬は、そう思い立つと、報告書と写真を手にしたまま、逸《はや》る気持ちを抑えながら、立ち上がった。
日美香の双子の妹が生きていたとは。しかも、その娘の胸にもお印があるとは……。
物に動じない兄も、この報告にはびっくり仰天するだろう。
しかも、同時に、喜屋武蛍子がこの村にかかわってきた動機もこれで明らかになったのだから。
郁馬は、足音も荒々しく次兄の部屋へと向かった。