そうだ。
智成に口止めをしておかなければ。
弟の口から兄の耳に入ったらまずい。
郁馬はそう思いつくと、そのまま、自分の部屋に戻った。ひと風呂《ふろ》浴びに行った弟を部屋で待つつもりだった。
他の兄弟たちが知り得たことは、兄の片腕的存在である自分が聞いておいて、それをまとめて兄に知らせるというシステムがいつの間にかできあがっていたから、パイプ役である自分を差し置いて、末弟が次兄にじかに話をするという可能性はないにも等しかったが、それでも、念のため、釘《くぎ》をさしておこうと思ったのである。
それと、もう一つ、弟に密《ひそ》かに頼みたいことがあった。
部屋で待っていると、しばらくして智成が戻ってきた。
「ああ、良い風呂だった……」
血色の良い顔で満足そうに言いながら入ってきた弟に、
「例の件、兄さんに報告しておいたよ」
と、郁馬は何食わぬ顔で切り出した。
「そうですか。で、兄さんはなんて?」
弟は別に怪しむ風もなく、濡《ぬ》れたタオルを窓辺につるしたハンガーに掛けながら聞いた。
「……この件については、後でじっくり対策を考えるとおっしゃってたよ。それまではうちの者にも伏せておけと。今は大祭のことで頭が一杯なんだろう。だから、兄さんから何かお達しがあるまで、このことは、これだぞ。いいな?」
唇に人差し指を当てるジェスチャーをしてそう言うと、智成は、「分かった」というように大きく頷《うなず》いた。
「あ、それとな……」
郁馬はさらに何食わぬ顔で続けた。
「喜屋武蛍子のことだが……やはり、このままにはしておけないそうだ」
「……というと?」
智成の顔が俄《にわか》に引き締まった。
「今、日の本寺に鏑木という東京のカメラマンが雑誌の取材という名目で滞在しているんだが、どうも、これが怪しい。ご住職に探ってもらったところでは、喜屋武蛍子が送り込んできた男らしい」
「……」
「照屋火呂の件で、あの女がこの村にかかわってきた動機も判明したし、これ以上、あの女を泳がせておく必要もなくなった。このまま放っておくと、この村に関して、姪《めい》によからぬことを吹き込むかもしれない。そうなると、将来、照屋火呂をこちら側に引き込む際に何かと不都合になる。それで、大祭が終わったあとでいいから、何らかの方法を使って、あの女を始末しろと……」
「兄さんがそうおっしゃったんですか」
智成は少し驚いたように聞いた。
「そうだ」
そうではないが、もし、兄が照屋火呂の一件を知れば、同じことを考え実行するに決まっている。これは決して勇み足ではない。兄のふだんの思考パターンを読んで、少し早めに手を回しておくだけだ……。
郁馬は心の中でそう言い訳した。
「しかし、何らかの方法と言われても」
智成はとまどったように呟《つぶや》いた。
「達川のときのように、自殺か事故にでも見せ掛けろということだろう」
「でも、あの女を自殺を装って……というのはちょっと難しいかもしれませんよ。達川のときは、一人暮らしの上に、たまたま失職と離婚という自殺の動機になりそうな要因がありましたが、あの女には、いくら身辺を洗っても、そういう要素が全くないですからね。それに、高校生の甥っ子と二人暮らしだし……」
「今回は事故という線が無難だろうな。達川に続いてまた自殺では、怪しむ者が出てくるだろうし。誰にでも日常的に起こり得るありふれた事故。交通事故あたりがいいかもしれないな。例えば、勤め帰りの道すがら、運悪く暴走してきた車に轢《ひ》き逃げされるとかな」
「……」
「雨の日にでも狙ってやれば、悪天候ゆえの不運なアクシデントということで片付けられるだろう……」