久しぶりに日美香を一目見て、美里は声にならない感嘆の声をあげた。
美しい。
純白の袖無《そでな》しのマタニティドレスをゆったりと纏《まと》い、長い黒髪をまとめずに無造作に肩や背中にたらしている若い女の姿は、女の目から見ても、惚《ほ》れ惚《ぼ》れとつい見とれてしまうほどに美しかった。
来月半ばが予定日という腹部ははち切れんばかりに膨らんでいたが、ほっそりとした手足や上半身と、迫《せ》り出した腹部の膨らみとが妙にアンバランスで、それが不思議なエロティシズムを漂わせていた。
エロティシズムといっても、決して下品な色気ではなく、どこか高貴な香りのする色気だった。
美里は、昔どこかの美術館で見た、「受胎告知」という題のルネッサンス期の絵画をふと連想していた。
今、目の前にいる女は、まさにあの大天使から「受胎告知」を受ける若きマリアのように神々《こうごう》しく、かつ、どこか禍々《まがまが》しいほどの色香を湛《たた》えて、目の前にいた。
涼しげな純白のマタニティを着ているせいか、その身体から後光のようなものがあたり一面に射しているようにさえ感じられる。
「お待たせしました」
日美香はそう言って、身重の身体をいたわるように、ゆっくりと落ち着きはらった物腰で入ってくると、席についた。
美里も慌てて窓辺を離れ、さきほどまで座っていた座についた。
「お身体の具合はいかがですか」
挨拶《あいさつ》もそこそこに、そうたずねると、
「先日も長野の病院で診てもらってきたんですが、順調に育っているそうです」
日美香はにっこりと笑って言った。
「男の子だそうですね?」
さらにそう聞くと、
「ええ」
日美香は深く頷《うなず》いた。
「順調だと聞いて安心しました」
美里もほっとしたように顔を綻《ほころ》ばせた。
「ただ……」
笑顔を絶やさないまま、日美香が世間話でもするような軽い口調で言った。
「順調に育ってはいるのですが、お医者さんの話では、少しだけ問題があるのだそうです」
「問題?」
美里の顔からたちまち笑みが消えた。
「検査で分かったのですが、子供の足に少し障害が見られるんです」
「障害って……どのような?」
美里はハンカチを口元にもっていきながら、おそるおそる聞いた。
「指がないんです」
日美香は笑顔のまま言った。
「……」
真夏だというのに、美里の背中をふいに悪寒が走り抜けた。
「指がない……?」
「ええ。両足の指が一本も……。手の指はちゃんと五本ずつ揃っているのですが、足の方の指らしき分岐が全く見られないんです。両足とも、膝《ひざ》から下が一本の先細りの棒のようになっていて、まるで、その……蛇の尻尾《しつぽ》のようだと」
「……そ、それで歩けるんですか」
「さあ。お医者さんの話では、このままでは普通の歩行は難しいというか不可能ではないかと……」
日美香は笑顔のままそう答えた。
「た、たとえば、手術か何かで足を治すということは?」
「さあ。それも産まれてみないと詳しいことは分かりませんが、難しいようですね。普通に歩くためには、いっそ膝から下を切断して、義足をつけるとかしなければならないかもしれません」
「……」
生まれついて、下半身にそんな重大な障害があるのか。
それが「少しの」問題なのか。
美里は愕然《がくぜん》としていた。
何よりも、こんな話を、笑顔のまま淡々と話す目の前の女に驚愕《きようがく》を通り越して恐怖にも近い感情を抱いた。
蛇のような足をもつ胎児……。
それは一種の奇形ではないのか。
口には出せなかったが、美里の脳裏にそんな言葉がひらめいた。
それをこの娘は別にたいしたことはないという顔で話している。内心ではそんな障害をもつ子供を産むのが不安でたまらないのだが、ただ強がっているだけなのだろうか。
「たとえ歩けなくても、這《は》って移動することはできると思いますから」
日美香はなおも言った。
「そ、それは、産まれたばかりの赤ちゃんは皆、這い這いからはじめるものですけど……」
美里は、自分でも何を言っているのか分からないほど、しどろもどろになっていた。
「この子の場合はそれが一生続くというだけのことです。でも、それならそれでいいと思うのです。普通の人のように歩くべき足が生まれつき備わっていないということは、この子は、普通の人のように歩く必要のない宿命を背負っているからとも考えられるからです」
「……歩く必要のない宿命……?」
「ええ。水の中で泳いで暮らす必要のない生物には水掻《みずか》きが不要なように、空を飛んで暮らす必要のない生物には翼が不要なように。生物はこうして自分の今いる環境に最も適した身体に自らを作り変える能力をもっていますから。この子に生まれつき足がないということは、この子には、そうした機能を使って地面を歩く必要などないということかもしれません。だから、足が退化したのだとも考えられます。そして、退化した足の代わりに、何か別の、これからの地球環境で暮らすために必ず必要になってくる新しい身体的特徴をもっているのかもしれません」
「……」
「わたしはこの子の足が生まれつき普通の人と違うのは、障害とか奇形とかいうのではなく、お印だと思っています」
「お印?」
「そうです。お印です。普通の人とは違う新しい生物であるというお印です」
日美香はそう言って婉然《えんぜん》とほほ笑んだ。