夕刻、少し涼しい風が吹き始める頃になると、聖二と美奈代の墓に線香をあげてくると言って、美里は日の本寺の方に出かけて行った。
予定では、一泊だけして、明日の朝には東京に帰るということだった。
日美香は居間を出ると、さきほどまで寝そべっていた長椅子の所に戻った。
そこにまた座ると、小テーブルに載せてあった沢地逸子の本を取り上げた。
それをペラペラとめくってみた。
著者のあとがきが付いている。
それを先に読んでみると、「編集を担当してくれた鏑木蛍子さんへ……」という謝辞のような文章が目についた。
鏑木蛍子?
名前が同じなので、喜屋武蛍子を思わず連想してしまったが、名字が違うところを見ると別人なのだろうか。
それとも……。
そんなことを思いながら、あとがきにざっと目を通してから、冒頭に戻り、「原始、女性は月だった」という、何やら平塚らいてうのパロディめいたタイトルからはじまるコラムの方を読み始めた。
「……ギリシャ神話では、最古の月の女神エウリュノメが月の蛇(宇宙蛇)オピオンと交わって銀の卵を生み、この卵から、太陽や遊星、他の星たちが生まれたとある……」
そんな書き出しで始まる文章を読みはじめたが、そのうち、日美香の思考は、目の前の本から離れて、宙をさまよっていた。
武と火呂が……。
郁馬から二人のことを初めて聞かされたときは少なからず驚いたが、今はむしろ、しみじみとした感慨に近いものが胸に迫ってきた。この世のことは成るように成る。
成るようにしか成らない。
縁のある者同士は、どれほどの障害があろうと、多くの偶然の重なりによって、必ず巡り遇うものであるし、無縁の者とは、どれほどお膳立《ぜんだ》てをして人事を尽くしても、遇うことはできないのかもしれない。
武と火呂の出会いが全く偶然の重なった結果だったとしても、その偶然も重なれば必然になるのだろう。
二人は遇うべくして遇ったのだ。
ふとそんな思いにとらわれた。
いや……。
二人ではない。
三人というべきかもしれない。
宝生輝比古もまた、この二人と遇うべくして遇ったという気がした。
というのも、いつだったか、この音楽プロデューサーが雑誌のインタビューに応《こた》えて、自分の生い立ちについて語っているのを読んだ記憶があった。
それによれば、宝生は、子供の頃、母方の実家のある出雲で育ったそうで、その実家というのが、佐太神社の神官の家柄で、この地方に古くから根付いた蛇信仰の影響を祖母から強く受けて育ったとあった。
彼もまた、生まれながらにして「蛇」と深くかかわる者だったのだ。
この三人は、いわば三匹の神蛇、互いが互いを呼び合うようにして、遇うべくして遇ったのだろう。
そして、この三匹の神蛇が絡み合うようにして産み落とした卵が、今製作中の「覚醒《めざめ》」というタイトルのCDだとしたら、神の啓示のようなこの音楽が世に埋もれてしまうはずがない。
発売と同時に、空前絶後と言ってもよいほどの大反響を呼ぶのではないか。
日美香にはそんな予感がした。
それにしても……。
なんだかおかしかった。
自然に笑いがこみあげてくる。
武が火呂のボディガードとは。
いつか、わたしに向かって言ったことを、彼は着実に実現しているのか。
相手を妹に変えて……。
まず大学に受かったら、すぐに退学して渡米し、アメリカでの生活に飽きたら世界中を回る。そして、世界中を回り終えたら、今度は宇宙へ……。
あのときは、調子づいた妄想狂の戯言《たわごと》にしか聞こえなかったが、彼は、あの言葉通りのことを、長い階段を一歩一歩昇るように、着実に実現させていくのかもしれない。
そして、いつか、こんな「しょぼすぎて泣けてくるほどちっぽけな」村のことなど奇麗に忘れてしまうのだろう。
それでいい。
武は火呂とともに、世界を股《また》にかけるような空間的な生き方をすればいい。
火呂とは、友人の域を出ていないということらしいが、たとえ彼の両親が信じなくても、わたしはその言葉を信じる。
たぶん、火呂とは、「まだ」友人であり仲間であり疑似姉弟でしかないのだろう。
でも、いつか、火呂の弟の意識が戻ったとき、武はやっと弟役を返上して、火呂にとって別の大切な存在になるのだろう。
そうなった二人を頭に思い描いてみても、日美香の中には何の嫉妬《しつと》めいた感情も起こらなかった。
それどころか、早くその日がくればいい。火呂の弟が一日も早く目を覚まして、二人が疑似姉弟でなくなる日が来ればいいと、心の底から願った。
この双子の妹には、武のことで張り合う気持ちを強く持ち、「最大の敵」と感じたこともあったが、今はそんな感情を抱いた自分がひどく遠いものに感じていた。
思えば、あれは勘違いだったのだ。大いなる錯覚だった。
今、そのことがはっきりと解った。
武に恋情のようなものを抱いたと思ったのは、別の男への想いを武に対するものだと勘違いしていたにすぎなかった。
あの少年の肩越しにずっと違う男を見ていた。最初からその男しか見ていなかった。わたしはそのことに自分で気づいていなかっただけだ。
ああ、もしかしたら。
日美香は思った。
武は感づいていたのかもしれない。
だから、この村から、わたしのもとから去っていったのか。
わたしの視線の先にあるものが自分ではないことに気づいて……。
武に感じた母性的な愛情は、あれはその男の母親だった女の記憶が自分の中で次第に覚醒《かくせい》していたに過ぎなかった。それを、年下の異母弟《おとうと》への想いと勘違いしてしまっただけだった。
昨年の五月にはじめて会ったときから、わたしの想いはずっとただ一人の男の上にしかなかった。
聖二と自分の、その長く長く深い深い縁を思えば、それは当然のことだった。わたしの転生者としての記憶はまだほんの一部しか覚醒していない。わたしの中のジグソーパズルの絵柄はまだ半分も明らかになっていない。
祖母である緋佐子の記憶の一部。そして、あのミカヤと名乗り、過去に聖二の妻だったと叫んで、封印された記憶の扉を中から蹴破《けやぶ》るようにして突然現れた女の記憶。現代人がとうに失ってしまった本能と野生に充ちた太古の女の記憶。
それもごく断片的でしかない。
でもこの二人の女の記憶の一部的な覚醒で、一つだけ解ったことがある。
わたしはこの先も、たった一人の男の存在、その魂魄《こんぱく》だけを追い続け、愛し続けていくだろうということ。
過去においてそうだったように、未来においても……。