あの夜。
聖二はわたしを守ろうとして死んだ。
もし、あのとき、深夜の地震に脅《おび》えて、あの部屋で一緒に寝たいなどと言い出さなければ……。
嫉妬に狂った美奈代があんな行動に出ることはなかっただろう。その結果、聖二がわたしをかばって命を落とすようなこともなかった。
あの後……。
まるで一つに溶け合うように固く抱き合った二人の黒焦げの遺体を目の当たりにしたとき、心底、美奈代が憎かった。そして妬《ねた》ましかった。
わたしも、あんな風に一つになりたかった。それを邪魔したのは美奈代だ。
でも、時間がたち、黒焦げの遺体を見たショックと悲しみが少し鎮まったあと、わたしはすぐに気が付いた。
美奈代が抱きついて、地獄まで引きずり込んで行ったのは聖二ではない。聖二の抜け殻にすぎないと。その魂魄は、肉体が燃え上がる瞬間、生きながら燃え尽きていく肉の衣を捨てて宙に飛んだはずだと。
美奈代が最期《さいご》につかんだのは、脱ぎ捨てられた古衣にすぎなかったのだと……。
高い能力をもつ日子《ひこ》である彼が、最期を迎えた瞬間、転生の術を使わなかったはずはない。そして、それは必ず成功しただろうと。そう確信した。
だから、葬儀の席では涙一つこぼさなかった。生き神とも呼ばれた宮司の突然の惨死に、驚きうろたえ悲しみうちひしがれて号泣する村人や家人の中、ただ一人、わたしだけが涙も見せずに淡々としていた。
こんな形だけの葬儀など無意味だと思っていたから。肉の衣を葬るだけの儀式など……。葬儀の後で、わたしと同じ思いを抱いていた人が少なくとも二人はいたはずだ。耀子と郁馬だった。二人とも葬儀の席では、人並に涙を拭《ぬぐ》い、悲しみにくれているように見えたが、それは兄弟の死を悼《いた》むというより、これまで身近にいて毎日のように接していた者が突然いなくなったことへの悲しさ寂しさを表すものでしかなかったに違いない。
聖二が転生者であることを知っていた二人にとって、彼のこの死は一時的なものにすぎないことが分かっていたはずだから。
あの場で身も世もなく号泣していたのは、聖二と身近で接したこともなく、彼のことを何も知らない人ばかりだった。
実際、葬儀の帰り道、耀子はもう涙の乾いたさばさばした顔つきでこう言った。
「聖二は必ず転生します。早ければ、わたしたちが生きているうちに。あの子が新たに誕生するのをこの目で見ることができるでしょう。あなたはまだ若いからいいけれど、わたしはもう若くはないから、そのときまでせいぜい長生きするようつとめなければ……」と。笑みすら浮かべた顔でそんなことを言ったのだ。
わたしもそう思った。
いつか、そんなに遠くない将来、また遇うことができるのだと。そう信じた。
でも、まさか、こんなに早くその「とき」が来るだろうとは思っていなかった。
葬儀を終えて二カ月くらいたった頃、それはふいにやってきた。
身体の変調を感じたのだ。来るべき月のものも来ない。もしやと思い、すぐに病院に行き調べてもらったら……。
受胎していることを知った。武の子だった。あの祭りの夜、受精に成功していたのだ。その報告を受けたとき、わたしの脳裏に一筋の光が射した。
聖二が惨死した夜、わたしの子宮内には、既に武との間で作り上げた受精卵が生まれていたということになる。
ということは……。
死の間際、宙に飛んだはずの聖二の魂魄は、まっすぐ、この受精卵、あるいは既に着床していた胎芽の中に入り込むことができたのではないか。
もし、それが成功していたとすれば、今、わたしの中で育ちつつあるこの胎児は……。そう思い至ると狂喜した。
いつか転生、どころか、それはもう既になされていたのだと知って。
しかも、このとき、わたしはあることに気が付いていた。
それは、あの惨劇の夜、ミカヤと名乗って現れた女の正体。
それを知ったのだ。
あの後、聖二の咄嗟《とつさ》の機転で焼失をまぬがれた家伝書を独りで読み進んでいたときに、家伝の冒頭に、このミカヤの名前が出てきたことを思い出した。
「神祖ニギハヤヒの神妻」として。
ということは……。
わたしは物部の神と呼ばれたニギハヤヒの妻の転生者であり、聖二はその夫、つまり……。
聖二こそが大神、蛇神と呼ばれたニギハヤヒ自身の転生者であったことを。
それが解った瞬間、固く閉じられていた巻物が紐解《ひもと》かれ、するするとひとりでに広がるように、何もかもが一気に解った。
家伝書の冒頭の予言めいた言葉の意味も。
二匹の双頭の蛇とは、やはりわたしと武のことだった。
一の蛇たる武の落とした剣、すなわち精子と、二の蛇たるわたしの落とした玉、すなわち卵子とが、聖なる甕《みか》たるわたしの子宮内で出会い、一つの受精卵と成ったとき、ここに「大いなる御霊《みたま》が宿る」とは、この受精卵に、大神たる聖二の魂魄《こんぱく》が宿る、という意味であったことを。
そして、これこそが太古の蛇神の復活を意味するものであることを。
ここに至って、真の祭りは成就したのだ。
それは三日間の祭りの期間においてではなく、わたしが聖二の魂魄を受胎したこの瞬間において。
真の祭りは、わたしと武が交わるだけでは不十分だった。最後に、聖二の現世での死と転生という要素が加わらなければならなかったのだ。
聖二も死の間際にそれを悟ったのではないか。神主である自らの肉体を、最後の生き贄《にえ》として捧《ささ》げなければ、この祭りが成就しないということを。
だから、あのとき、逃れようと思えば逃れることができたはずの妻の炎の抱擁を自ら進んで受け入れたのだ。
あのヘラクレスのように。
太陽神の申し子らしく、生きながら炎に焼かれるという身の捧げ方で……。
あの夜に起こったことは全て、真夜中の地震も、子供の頃の地震の記憶に脅えたわたしの子供じみた言動も、地震のもたらした刺激で蘇《よみがえ》ってしまった太古の神妻ミカヤの出現も、美奈代の嫉妬《しつと》に狂ったような異常な行動も、何もかもが、この最後の祭りを仕上げるための、必然の過程にすぎなかったのだ。
それが解ったとき、歓喜と共に、わたしは、どこか天使のような顔をした若い医師の「受胎告知」を受け入れた。
でも、一時の歓喜が去って、だんだん不安になってきた。
果たして、聖二は死の間際、転生に成功したのだろうか。その可能性は高いとはいえ、絶対とはいえない。
前に聞いた話では、転生は受精卵の間しか成功できないということだった。ただ、とりわけ高い能力をもつ者だけが、受精卵が着床した後の胎芽の状態になっていても成功しうると。
だから、聖二が転生に成功した確率は高いとはいっても、決して百パーセントではない。失敗の可能性が残っている。
お腹の胎児は武の遺伝子を受け継いだ武の子に過ぎないのかもしれない。聖二は転生に失敗したのかもしれない。そんな一抹の不安は拭《ぬぐ》えなかった。
しかし、そんな一抹の不安も、最近受けた病院の検査で完全に一掃された。
胎児の成長を調べるその検査で、やや沈んだ表情で、担当の医師から、「胎児の足に異常が見られる」と報告されたときだった。その「異常」というのをわたしもこの目で見た。両足の先にあるべき一本の指もなく、先細りの棒のような、蛇の尾のような未発達の足を見たとき、わたしは驚愕《きようがく》よりも再び狂喜した。
胎児はその足先を身体に引き付け眠っていた。まるでとぐろでも巻くような格好で。
もう間違いない。
この子は聖二だと。
一点の曇りもなくそう確信した。
足が蛇のような形をしているのは、蛇の鱗《うろこ》模様と同じ、蛇神であることの証《あか》しであると確信したからだ。
子供の生まれながらの奇形を報告されながらも、落ち込んだり嘆くどころか、満面に笑みを浮かべて喜ぶ奇怪な若い母の姿を、担当の医師は、ショックのあまりどうかしてしまったのではないかとでもいいたげに、少し薄気味悪そうな目付きで見ていた……。