『蛇神』『翼ある蛇』『双頭の蛇』に続く完結作、ようやく完成しました。やれやれって感じです。
調子に乗って話を広げ過ぎて、どうやって終わらせようかと頭を抱えたこともありましたが、なんとかかんとか大風呂敷《おおぶろしき》を畳めたかなと思っています。
思えば、一作めの『蛇神』に取り掛かったのが平成十一年の春頃でしたから、四年近くもこの物語にかかわってきたことになります。いくら「蛇」がテーマとはいえ、まあズルズルと……と我ながら呆《あき》れてしまいます。
『蛇神』を書き上げたときは、あれはあれだけの話のつもりでしたので、まさか、こんな長大な物語に発展しようとは、あの時点では夢にも思っていませんでした。
手頃な家を一軒建ててみたら、わりと住み心地が良かったので、あそこを建て増して、この部屋を広げてとやっていたら、何やら奇妙な形の大邸宅(?)になってしまったとでもいうような……。
四年近くもこれだけにかかわってきたせいか、物語世界にも登場人物にもミョーな愛着が出てきてしまい、終わるのがちと寂しいような気もしています。やっと完結したという安堵《あんど》感と共に、これでこの話ともお別れかという、まさに祭りの後のような寂寥《せきりよう》感も感じています。
もしかしたら、日の本村という架空の村にある底無し沼にはまってしまったのは、ほかならぬ作者自身だったのかもしれません。
何はともあれ、こんなにのんびりと書いてきたものを、途中で見限りもせず、最後までお付き合いしてくれた読者の方々には感謝の言葉もありません。そんな気の長い読者が一人でも残っていてくれることを願いつつ、筆を擱《お》くことにします。
最後に……。
この話の後半部を書いていたときに、鮎川哲也先生の訃報《ふほう》を知りました。
個人としての寿命は尽きようとも、その作品がこれからも読み継がれ読み返される限り、作家としての死はないと思っています。
鮎川作品がそうなることは疑いようもありません。
とはいっても、星新一、山田風太郎、半村良といった希代のエンターティナーに続いて、またもや大きな灯が一つ消えたのかというやり切れない思いは拭《ぬぐ》えませんが……。
しかも、鮎川先生といえば、プロフィールにもあるように、私にとっては「生みの親」ともいうべき人でした。もし、「鮎川哲也」という作家の存在がなければ、今、こうして、細々ながら作品を書いて発表するということは叶《かな》わなかったかたでしょう。
せっかく世に出してもらいながら、あまりご期待に応《こた》えられなかったようなのが残念でなりませんが、これまでの感謝と追悼の意をこめて、ようやく完成したこの作品を鮎川先生に捧《ささ》げたいと思います。
生涯「本格推理」を愛し、「本格」一筋に歩まれた先生が、このような本格とは似ても似つかない代物を楽しんでくださるかどうかは心もとないですが、少しでも楽しんでくださることを祈りながら……。