私は、大晦日かその前日にひとりで山荘に入る。大晦日に京の町で年越し|蕎《そ》|麦《ば》をすませてから、馴染みの酒亭で除夜の鐘までの一刻を過す。
京都の町の年越しは風情がある。京都祇園の八坂神社で行なわれる|白《おけ》|朮《ら》祭はつとに有名で、参詣人は火縄に悪疫除けの白朮火をつけて、振り回しながら帰り、その火で元日の雑煮を炊く。この夜ばかりは乗物も火種の持ち込みが許される。市電の通っていた頃、電車の中でくるくる火縄を回しているのを見ると、ああ京都だなと思ったものだ。
白朮祭は、暮れの二八日に神主が檜材で|讃《さん》|火《か》をつくり、神事は大晦日の深夜に行なわれる。元日の暁に燈籠の忌火を社殿一二本の|折《お》|敷《しき》に盛った|削掛《けずりかけ》に移して焚火をつくるのだが、その削掛には白朮が混ぜてあり、悪疫除けの呪いになるので、参詣人はその火種をうけて新玉の床火にするのである。
私は、八坂神社で白朮火をもらうと、それをくるくる回しながら人込みをかきわけて知恩院へ回る。
知恩院の大|梵鐘《ぼんしょう》のぐるりは善男善女で人垣がつくられている。梵鐘を囲んで僧侶や|檀《だん》|家《か》席に着くと、|撞《しゅ》|木《もく》に力自慢の若僧がならび経文がひときわ高く唱えられ、先導のリードで大撞木が大梵鐘を|撞《つ》く。
その鐘の音を聞いて、私はタクシーで比叡の山荘に帰る。京の除夜は寺々の打つ梵鐘が響いてさわやかである。
凍てついた家の中で白朮火を燈明に移し、諸行無常の梵鐘を聞きながら若水で沸かした風呂に入る。
独り住いのことだから、正月のおせち料理は簡単である。三日には東京に帰って正式に祝うので、山荘では京都錦小路で求めた餅と馴染みの酒亭で詰めてもらった一重の箱詰めのみである。
ただ、酒は驕る。日本酒は賀茂鶴の特等酒、ブランデーはレミーマルタン、ウイスキーはオールド・パー、寒気はひしひしと身に迫るが、酒が冷気を払ってくれる。
チビリチビリとやりながらの初日の出待ちは楽しいものである。ときに、前の谷から物の怪のような声が聞えてくる。実際、わが家の前庭に狐の親子が残飯を漁りにくることがある。