日本の気候で、一番寒いときは二月ではないか……。東京育ちの私には、二月という月に一番寒さを覚えるのだが、北国育ちの人達は、どんなものだろう。待ち焦がれた春の息吹をはやくも感じとっているかも知れない。
これが、若いうちならば、スキーやスケート、冬山登りと楽しみもあるのだろうが、いまの私にはそんな気持ちはさらさらに無いから、|如《きさ》|月《らぎ》という月は冬眠よろしく、つい家に閉じ籠りがちになる。|但《ただ》し、沖縄や南九州のような暖国となれば、これはまた別の話である。
そんな無精者の私が、伊勢志摩に旨いものを食べに行ったのだから、美味求真の欲はすさまじい。といっても、二月に名古屋で芝居を公演してのついでだから、やっぱり出無精にはちがいない。
私はこの土地が好きで、とりわけて、賢島から眺める|英《あ》|虞《ご》湾の入り江に惚れこんでいる。賢島の志摩観光ホテルから見渡す海景色に私は、なんとなく、ヨーロッパの潮騒の匂いを感じ、的矢湾の生ガキを啜ったとき、その気分がなおのこと|弥《いや》|増《ま》すのである。
このカキという二枚貝、日本全国に分布しているが、仙台の松島、伊勢の志摩、瀬戸内の広島と風光|明《めい》|媚《び》の地に名物として賞味されているのが憎い。新鮮なカキを殻から剥ぎとり、レモン汁を滴らしてカキの汁ごとチュウチュウと啜りながら食べるのが、最高の食べ方だが、ほかに、煮てよし焼いてよしである。松島でも伊勢でも広島でも、その土地で食べるカキは本当に|美《う》|味《ま》い。甲乙は全くつけ難い。
広島で遊んだとき、土地の友人から、太田川に浮ぶカキ船料理屋の特製だと言って、カキの塩辛をもらった。それまで、カキの塩辛なんて知らなかったから、ビックリして、恐る恐る賞味したが、その美味かったこと、その塩辛入りの小壺を拾も二拾も欲しかったが、友人はひとつしか呉れなかった。それだけに、あのトロリとしたカキの塩辛が、何年経っても口中に残っているのである。若し、広島のお方で、太田川に浮ぶカキ船屋にあるそうだが、そのカキの塩辛の存在を知っていたら御一報頂きたい。友人に頼めばなんでもないことなのだが、「ひとつ下さい。お伴します。」と彼に頭を下げるのが、いかにも口惜しい……。
東京で、生ガキは万一のことがあるから、自宅ではあまり食べない。そのかわり、カキの土手鍋をよく仕立てる。これは、味噌を土鍋の縁に土手のように盛りつけ、少しずつ煮溶かしながらカキを食べるのだが、コツは味噌で、別の鍋に赤味噌白味噌半量ずつの割りで、日本酒と|味《み》|醂《りん》を少々ふりこんでトロ火でプクッと泡立つまで練り、これを経木になすり遠火で焼いてうすい焦げ目をつくり、土鍋のふちになすり、鍋底に出し昆布をしいて、味噌にかからないように水を張り、煮立ったら、味噌を煮溶かしながら、カキや野菜豆腐などを入れて食べるだけのことである。