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金子信雄の楽しい夕食4-1

时间: 2019-03-30    进入日语论坛
核心提示:    筍の刺し身    |湯《ゆ》|葉《ば》|真《しん》|蒸《じょ》 私の芝居の師、故岩田豊雄(獅子文六)先生は、食べ
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     筍の刺し身
 
    |湯《ゆ》|葉《ば》|真《しん》|蒸《じょ》
 
 私の芝居の師、故岩田豊雄(獅子文六)先生は、食べることが大変お好きでグルメであった。
 芝居のお話にお宅に伺うとたいていは、芝居よりも食うことの話になった。先生が動脈瘤破裂で急逝される三日前に、私は京都での仕事の帰りに錦市場に寄ってグジ(若狭の甘鯛)と湯葉真蒸(湯葉を蒸してカステラのように作りあげたもの)を求めてお土産に持参した。
 実は、湯葉真蒸にはこんな話がついている。ある日、先生のお宅にお邪魔すると、
「金子、お前は湯葉の蒸しもの湯葉真蒸を食ったことがあるか?」
「はい」
「そうか、京都にはまだまだ本当の食いものがあるんだなあ」
 そんな会話があって後、私はこれも故人になった京都|先《ぽん》|斗《と》町の酒亭「ますだ」の女主人お|好《たか》さんの手引で、湯葉屋に頼みこんで湯葉真蒸をつくってもらい先生のお宅に持参したのだ。
 先生急逝の知らせを受けて女房とお宅へお悔みに飛んで行くと、まだ通夜の客も少なく、先生は穏やかに眠っているようなお顔で横になっていた。その|傍《かたわ》らで奥様が、
「ねえ、金子さん、こんなことがあったのよ。金子さんにグジと湯葉真蒸を三日前にいただいたでしょう」
「はい」
「岩田はね、これはお前たちにやれないと言って私と息子にはグジのアラのお吸物だけで、あとは全部冷蔵庫にしまいこんで自分だけで楽しんで食べていたの。だから、とうとう湯葉真蒸はまだ食べきらないうちに逝ってしまったのよ。でも、|美《お》|味《い》しいもの、食べたいものを自分だけで食べる岩田を見ていると、楽しそうだったわ」
 と、夫人は物静かに言われた。
 私も、この棲み辛い世の中を楽しく自由に生きるためには、三度の食事を他人に|忖《そん》|度《たく》することなく喰うことこそがこの世の快哉であり口悦だと信じて、暇があると包丁を研ぎ、料理を作っている。
 日本国最後の元老西園寺公望公爵は、尺余の鯛から目玉と脇腹一寸四方だけを魚屋から取り寄せて食べたという。
 目玉と脇腹は尺余の鯛の魚肉のなかでも珍味中の珍味である。
 私の財力では、そんな贅沢はできないが、それでも|鯵《あじ》ぐらいならできるから、鯵の煮付をつくると、目玉と頬肉は私だけがせせって食べてしまう。女房や息子には食べさせない。
 もっとも、近頃の若いものは、目玉や頬肉をせせるようなことはしなくなった。淋しいかぎりである。
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