冬の終わりを告げる春一番がひと吹き吹き荒れると春の訪れは早い。三寒四温という陽気の繰りかえしがあって、西の方から桜便りがもたらされ、東京の空を大陸からの黄塵が灰色に染めると陽春である。
都会の食べ物に四季がなくなって、夏野菜のようなものでも一年中出廻っているが、それでも、四月の声を聞くと、山の幸海の幸はビニール栽培や養殖ものでない、|旬《しゅん》の味が出廻ってくる。
京都の錦小路の市場をのぞくと、|春《はる》|韮《にら》、|独《う》|活《ど》、山椒、春筍、空豆、桜鯛、|鱚《きす》、|飛《とび》|魚《うお》、|目《め》|張《ばる》、若布、|鹿《ひ》|尾《じ》|菜《き》、蛤、などが見栄えよく並べられていて楽しい。
鯛は、何時でも味があまり変わらないと言われ、姿の美しさと言い、肉のしまり具合や風味は、まさに「腐っても鯛は鯛」である。ことに外海の深みから産卵のために瀬戸内海の浅瀬に乗り込んでくる鯛こそは魚の王者とたとえても過言ではあるまい。
ただ、残念なことには近年めっきり漁獲量が減って、名物瀬戸内海の鯛網漁も昔ほどの活気がないようだ。これについては面白いことがあった。
テレビで鯛網漁を中継放送しているとき、鯛網指導船が大漁旗をかかげながら、漁船の取り囲んだ網の上をエンジンの音も高くポンポンと通り過ぎて行った。その場面の状況を伝えていたアナウンサーが、傍にいる組合長に、
「あれ、船の|生《いけ》|簀《す》の底をあけて、鯛を放しているんでしょう」
と聞いた。組合長のそれまでの機嫌のいい顔が途端に仏頂面になって、
「ヤボな質問をするもんじゃありませんよ」
と横を向いてしまった。
それもそのはずで、今日では、|他《よそ》から鯛を持って来て囲っておき、それを春の瀬戸内海のショーとして客を呼んでいるのである。私も大分前に見物したことがあるが、網がだんだん締められてくると、鯛のやつ、やれやれ、またおつとめか! とまるで気のない面を見せたので、思わず笑ってしまったことがある。揚げた鯛は、遊覧船のお客にその場で売るが、どう見てもその色合いが養殖ものだったことがある。
鯛の養殖もいまでは進んで、昔とは違い味もずい分とよくなったが、その色だけはどうしても天然の真鯛には及ばない。
鯛の浜焼は、尾道や糸崎の名物だったが、塩田のなくなった現在では、鯛もさることながら、いい塩がないから昔のような味が出せないのではなかろうか……。