六月に漬けた梅の土用干しをする。箸で梅のひと粒ずつをこわさぬようにそっと挟んで、汁気を切って|笊《ざる》に置く。
毎年梅漬は三・五キロほど作る。市販の梅が一キロ、庭の梅が二・五キロである。我が家には、亡母が丹精した白梅と紅梅の二本があり、実生は紅梅の方が成績がいい。白梅は、どういうものか蕾のうちに野鳥が|啄《ついば》むので実がつかない。
日本人にとって漬物は欠かせないものだが、この醗酵食品は西洋にはない味覚である。私は、毎年梅干しをつくり、糠漬の床の手入れをする。
わが家の糠床は百年の歴史がある。嘘ではない、本当の話である。というのは、もう大分昔の話になるが、小倉に行ったとき、小倉名物どぶ漬[#「どぶ漬」に傍点]の糠床を旧家から分けてもらって糠床をこしらえたのだ。
どぶ漬は、そのときはじめて知った。「無法松の一生」で有名な小倉の祇園太鼓の取材で行ったのだが、そのとき茶うけに出た糠漬や青魚の糠味噌煮が見事な出来だったので、その|床《とこ》をみせてもらったら、実に美しい|鼈《べつ》|甲《こう》色に輝いていた。つまり、糠漬に艶がある。
その家のお祖母ちゃんが言うには、|曾《ひい》|祖《ば》|母《ば》のそのまた昔から引き継がれてきた糠味噌で、その床を守るのは代々嫁の務めとしてきたという。私はお祖母ちゃんに懇願して、弁当箱一杯ほどの糠味噌を分けてもらい、わが家の糠漬の種としたのだ。
私は独り者のときから糠味噌作りが得意で、両親と別に住んでいたときに、母が来て糠漬の種にもって行ったほどだったが、世帯を持ったら家内が、即駄目にしてしまった。
それから十年、糠味噌作りは放棄してしまったのだが、小倉の糠味噌の種をもらって十年、今度は私が管理している。冬の間は自然塩をたっぷりくれて冬眠させて、春の息吹とともに起こしてやる。ようやくわが家の味になった糠味噌は、自讃ながら何を漬けても旨い。