東京育ちの私、子供の頃のさけと言えば、年の暮れに魚やの店頭に吊り下げられた新巻か塩ざけの切り身しか知らなかった。そのさけの切り身にしても、真白になる位に荒塩をまぶしたさけだから、焼くとピンクの切り身にブツブツと塩粒が浮き、食べると口がひん曲るほどの塩辛さだった。しかし、これは茶漬飯にすると実にうまい。冷御飯に焼きたての塩ざけをむしり、熱い番茶をかけたら最高である。
最近そんな塩ざけを見かけないので、行きつけの魚河岸の親父に尋ねたら、親父は笑って「専売公社の塩は高いばかりでまずくて塩じゃねえ! 第一塩をたっぷりふり込んだら魚の水気が切れて目減りするんで産地で敬遠するんでさー」と言った。
さけの|漁《すなど》りと言えば、私は映画やテレビで見る北洋のさけ漁か北日本の河川に乗っ込む産卵のさけの捕獲しか知らない。
その私に、テレビ局から、「南アラスカの紹介を兼ねて、アラスカへキング・サーモン釣りに行ってくれませんか」とお声がかかり、うまい具合に新番組の撮影が延びたのでスケジュールがとれ、アラスカへサーモン釣りに行くことになった。
東京国際空港からアラスカ州アンカレッジ空港までは、ジェット機でほんのひと飛びの空の旅である。東京とアラスカでは十九時間ほどの時差があり、アラスカの夏は短く八月の半ばになると、夏の青草に雪が降り、長く暗い冬が来る。
その短い夏をアラスカの人達はフルに活用する。とくに、キング・サーモンダービー(五月〜七月)が盛んで、何万ドルかの賞金がつく。私は、アラスカの海の玄関ケチカンのフィッシングリゾートとして知られるクローバー・パスで、生まれて初めてのさけ釣りをした。私が船着場に着いたとき、四五ポンドのキング・サーモンを釣り揚げた老婦人が鼻高々とそのさけを私に見せた。漁法はモーターボートでのトローリングである。|鰊《にしん》を餌に一時間ばかり流したら、七〇センチばかりのさけが二本かかった。土地の若者は、「われわれはキング・サーモンしか食べない。それは、ドッグサーモン(犬の餌)である」と言って軽蔑したが、私には大漁である。さけの腸を抜き、アメリカの塩を充分にふり東京に持ち帰り、腹の脂の乗ったところは妻の注文で金子式酢漬にした(作り方は「新巻ざけの酢漬け」参照)。