|鵯《ひよどり》の|喧《やかま》しい鳴声が薄刃の剃刀で|截《き》り裂くように中天を飛ぶ頃になると秋も深まる気配である。
わが家の裏を流れる善福寺川もこれが都会を流れる川かと思わず飲みたくなるような冷たい清澄な流れになり、群れをなして遊泳する鯉の緋の色が川面から浮き出るように鮮やかになる。
夏場には汚れていた川底も、夏の終わりから秋にかけて降った大雨でガラクタがすっかり掃除され、両岸に繁っていた味気ない帰化植物の夏草も公園の管理人にキレイに刈りとられてすがすがしい。この頃では、鴨のつがいの群ればかりでなく、白鷺や|鶺《せき》|鴒《れい》も遊ぶようになった。だから、この川沿いの散歩は楽しい。そして、もうひとつの楽しみは、散歩の途次偶然に見つけた川芹を摘むことにある。その場所は、それこそ私だけの秘密で家人にも教えない。秋風が吹き、川面が冷たく光るようになると、そっと、その秘密の場所に摘みに行く。小|笊《ざる》に軽く一杯ほども摘み「いいクレソンがあったから、今日はおひたしとクレソンと牛肉の中華風スープにしよう」と家人に言う。
「まあ、こんなに、ずいぶん高いんでしょう」
さよう、町のスーパーで求めたらそこそこの値段はするだろう。
離れの隠居所に池があったときは、井戸水を少しずつ落としながら浅場を作って芹を植えていたのだが、数年のうちに父と母を続けて失い、池に軒端の影が映るのは家相としてよくないと知人に言われて、迷信とは思いながらも、ふた親を失ったのもその故かと未練なく埋めてしまった。|鹿《しし》おどしまでつけた洒落た池だったが……。爾来、自生の芹には縁がなく、善福寺川で川芹を見つけたときは、ほんとうに嬉しかった。ただ、夏の川水の温さではなんとなく摘む気になれないので、秋口に入ってから摘む。春先にも少し摘む。
十一月は祝祭日が多いので、よく旬のご馳走を作る。十一月三日の文化の日(明治節)には菊寿司を作る。この日は、昔から晴天の日が多い。小春日和が続き、半袖で歩きたいぐらいだ。中学生のとき、気どってオーバーを着込んだのはいいが、暑くて往生したことはいまでも忘れられない。
敗戦後は、文化の日と表現が変わったが勤労感謝の日とともに私にはどうしても馴染めない。だから、いまでも明治節といっては息子どもから笑われる。文化住宅、文化釜、文化鍋、文化煎餅、いやな言葉だ。まあ、文化勲章、文化功労者ぐらいは仕方がないが、人間文化財となるともういけない。ムシズが走る。ブンカブンカと唱えだしたのは大正末期のことだそうだが、江戸時代、徳川家斉公のとき、年号を文化文政といっていた。綱紀|紊《びん》|乱《らん》風俗頽廃もいいとこだったそうだが、現代日本の文化国家とよく似ている。