その昔、ブンカの日に吉原へ登楼したことがあった。もっともその頃は、明治節といっていた。なぜかこの日に女郎屋は軍人学生割引があった。多分、明治天皇はたいそうな粋人であらせられたから、その余徳を偲んで女郎屋の方で粋なはからいをしたのだろう。
そんなとき、戦さの前の腹ごしらえと遊び仲間とかならず吉原大門の馬肉屋「中江」に行った。遊廓はなくなったが「中江」だけは健在で、昔ながらの営業をしている。入れ込みの座敷に仲間うちで差し向かいに坐り、|最《ハ》|初《ナ》は馬刺からはじまる。フィレとロースがあって生姜醤油で食べる。にんにくを効かすとうまいのだが、あまりにんにくの臭いをさせると女郎が嫌う。酒二本ほど飲んで桜鍋に移る。蹴とばし食らって|精《ケ》|気《ト》|払《バ》|い《シ》に行こうと勇気凜々たるものだった。敗戦間近で戦火が東京まで拡がりだし、食物が不自由になっても馬肉屋だけは営業していたが、陸軍の粋な心くばりで、老軍馬の払い下げがあったのかも知れない。
燈火管制のうす暗がりのなかでつついた桜鍋のおあまりを弁当につめて、土産に持っていくと彼女たちはおおよろこびで、それこそ馬力をかけてサービスしてくれたものだ。
小説家の故獅子文六先生は馬肉がお好きで、日本にはフランスのようにうまい馬肉ステーキを食わせる店がないとよく嘆かれていた。私も探しているが、いまだにお目にかからない。信州や九州の一部では、牛肉よりも馬肉を好んで食べるが、都会の女性は馬肉屋へ行こうというと「可哀そうだわ」といって誘いに乗らない。そのくせ、牛肉の刺し身やタルタルステーキ、朝鮮料理のユッケなどはよく食べる。