後年、私が世帯を持ち、父が隠居して私の家に同居するようになってからは、|専《もっぱ》ら母と私で正月料理を作った。母の得意は、おなますとお|煮《に》|〆《しめ》、私は、晦日|蕎《そ》|麦《ば》の蕎麦つゆ用と正月用の雑煮の出しをとる。そして、恒例のローストビーフを作る。
私のローストビーフ作りの歴史は古い。昭和三〇年頃からだから、もう、二五年余のキャリヤを持つ。食通作家の故獅子文六先生は、私達夫婦の芝居の先生だが、ある年の暮れ、私が会心の出来のローストビーフを持参すると、先生は賞味され、
「うん、これはまさにローストビーフだ。けど、お前、|大《にん》|蒜《にく》を使ったな!」
その通り、私は悪戯心を起こして、その年のローストビーフは大蒜の薄片を貼りつけて焼いてみたのだ。
晦日蕎麦をすまし、除夜の鐘が鳴り出すと、充分に温めておいたオーブンに一週間も前から仕込んでおいた四キロほどの肉塊を取り出し入れる。家庭用のオーブンでは四キロまでがリミットである。年明けとともに焼くのは、あまり早く焼きあげると、息子どもの手が早く出て、正月のご馳走の値打がなくなるからだ。
肉の焼け具合を見て火を止め、おもむろに若水仕立ての朝風呂、いや夜半風呂に入る。|去《こ》|年《ぞ》の垢を落とし、料理人の臭いも拭う。
風呂からあがると、ブランデーグラスを片手に、焼き立てのローストビーフの真中をサクリと切り裂き、おもむろにその一片を削ぎ、口に入れる。
あたりは静寂、あらたま[#「あらたま」に傍点]の日の出も間近である。