『すぐ近くまで』
と言い置いた外出だったのに、二時間、三時間と過ぎて、午後十時になっても、寺沢は戻ってこない。電話一本、かかってこないのである。
『ホテル信貴』の支配人が、寺沢の妻に代わって、王寺署へ電話を入れた。
しかし、この時点では、警察も動きようがなかった。
大の男が、三時間いなかっただけなのである。
事件とはいえない。
いつもとは状況が異なっている、と、妻がいくら強調しても、それは主観の問題だ。一流製靴会社の総務部長をしているような人間なら、仕事の電話が、旅先まで追いかけてくることも十分考えられよう。
そしてまた、家人には、いちいち打ち明ける必要《こと》もない、プライベートな連絡もあるだろう。
王寺署の宿直警部が、『ホテル信貴』からの電話は丁重に受理したものの、成行きを見守ることにしたのは、当然の処置だった。
警察が動き出したのは、翌朝、一一○番通報が入ってからである。
寺沢隆の刺殺体を発見したのは、山菜採りの老人だった。
現場は大門池の南端。
峡谷の下に桜の巨木があり、寺沢は、桜の木の根元に、うずくまるような格好で、息絶えていたのだった。
通報を受けて、二台のパトカーが国道25号線を突っ走り、信貴生駒スカイラインにつづく坂道を上がったのは、早朝、六時前である。
凶器は、遺体に突き刺さっていた。刃渡り十一センチの、真新しい果物ナイフであり、心臓を一突きにしての、死であった。
ナイフがそのまま突き刺さっているためか、周囲に、血は飛び散っていない。凶器を抜かなかったのは、返り血を避けるための措置であったかもしれない。
流血もそれほどではない死体だった。
検視の結果、死亡推定時刻は、昨夜の午後七時前後、ということになった。それは、土産物店従業員の目撃から、間がないことを示している。
心臓を一突きだから、ほとんど即死だった。死亡推定時刻が、すなわち犯行時刻、ということになる。
土産物店の従業員が耳にした会話を裏付けるものが、死体の傍らに落ちていた。
カバーはついていない、白っぽい表紙の文庫本である。
一ヵ所、桜の花片が、大量に挟まれているページがあった。
それが、百六十二ページだった。そして「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」で始まる冒頭の五行には、はっきりと傍線が引かれてあったのだ。
「だれが、なぜ、主人を殺したりしたのですか!」
寺沢の妻は一睡もしていなかった。『ホテル信貴』から駆けつけた妻は、桜の木の根元で泣き伏したが、文庫本には思い当たることがなかった。
もちろん、昨夜、『ホテル信貴』を出ていったときの寺沢は、手ぶらだった。
「主人は、学生時代から映画好きではありましたが、文学には関心を持っていませんでした」
と、寺沢の妻は刑事にこたえた。
蔵書といえば、百科事典と美術全集ぐらいなものだった。いわば、応接間の飾り、といった書架であるのに過ぎない。
文庫本の類は数えるほどしかないし、傍線が引かれた問題の文庫本には、全く、記憶がないという。
そして、それは立証された。文庫本からは何種類かの指紋が検出されたけれども、いずれも死者とは一致しなかったのである。
すなわち寺沢は、生前も死後も、その文庫本には手を触れていなかったことになる。
では、影が口にしていた、
『まず、この文庫本を返さなければならない』
とは、いかなる意味を持つのか。
凶器の果物ナイフからは、ひとつの指紋も採取されなかった。影は、手袋をして、凶行に及んだ、ということだろう。
結局、土産物店の従業員による貴重な�目撃�を別にして、物証と言えるのは、一冊の文庫本と、文庫本に残る(死者とは別の)指紋と、指紋を残さない凶器だけだった。
参道は砂利道だったし、峡谷を下って大門池南端の殺人現場に至るコースは、すべて草むらだった。
従って、足跡などの採取は不可能だったのである。