焦げ茶のブルゾンにショルダーバッグひとつという、今朝方と同じ軽装だった。
月曜日の新幹線は空《す》いていた。
小雨は、多摩川を越える頃に、上がったようだ。
雨はやんでも、窓外の曇り空はつづいた。
新横浜を発車して、しばらくすると、車内販売のワゴンがきた。浦上は昼食として、サンドイッチを求め、お茶代わりの缶ビールを二本つけた。
サンドイッチを頬張り、缶ビールを飲みながら、ショルダーバッグから取り出したのは時刻表だった。
『週刊広場』編集部から、タクシーを飛ばしてくると、とりあえず一番早く利用できる新幹線に乗ったものの、目的地到着が何時になるのか、確認されていなかったのである。
(凶行時刻に、朝護孫子寺の境内を歩いてみたい)
それが、取材の前提だった。
浦上は時刻表のページの、あちこちをめくった。
サンドイッチを食べ終えるまでに、浦上の取材帳には、次のような数字が書き出されていた。
東京発 十三時四分 新幹線�ひかり223号�
京都着 十五時四十七分
京都発 十六時三十二分 奈良線普通
奈良着 十七時三十三分
奈良発 十七時四十七分 関西線普通
王寺着 十八時二分
犯行時刻は午後七時頃であり、王寺駅から信貴山までは、タクシーで十分前後。
(時間的には、ちょうどいいじゃないか)
と、浦上は思った。
二日前の�凶行�をどこまで見ることができるか、それは疑問だが、同じ状況下で現場に立てるのは、意味あることだった。
目撃者である土産物店従業員の帰りを、石灯籠が並ぶ参道で、捕えることもできよう。
浦上を乗せた�ひかり223号�は、京都まで、新横浜と名古屋しか停車しない。
列車はスピードを上げたまま、三島を通過するところだった。曇っているので、富士は裾野しか見えない。
その曇り空の下で、時折、にじんでくる彩りが遠くに見えた。
風景の彩りは、桜だった。
浦上は東海道新幹線を利用することが多い。普段はそれほど気付かないが、こうして見ると、沿線は思ったより桜の木が、多いようだ。
桜の開花を追って、つつじなども、赤や白の花をつけてくる。
しかし、花々が与えてくれるはずの安らぎといったものも、いまの浦上とは関係がなかった。
桜の花の向こうに転がっている二個の死体は、どこから関連を持ってくるのか。絶えず、それだけが念頭を占めている。
やがて窓外の風景は茶畑になり、穏やかな傾斜を見せる山や林に変わった。そして、曇り空の下に水田が広がってくると、彼方に、また桜の彩りが点在する。
浦上は脚を組み換え、二本目の缶ビールを開けた。
新しいビールを飲みながら、取材帳に、改めて二行メモを書き付けた。
港の見える丘公園=十一時三十分頃
朝護孫子寺=十九時頃
�横浜�と�奈良�の殺人時間だ。
二人の被害者の接点は、どう検討しても、これまでのデータでは何も分からない。だが、�犯人の足取り�は、一冊の時刻表さえあれば、きっと浮き彫りにすることができる。
二つの殺人《ころし》を前提とする出発時刻と、到着時刻は決まっているのだから。
二つの殺人の間には、ざっと七時間が用意されている。
持ち時間がそれだけあれば、横浜から奈良への移動は容易、と、受けとめるのはいわば常識であるが、その�常識�をしかとチェックし、足取りの見当つけておくのは必要なことだ。
あるいは、それが何かのヒントを与えてくれるかもしれぬ。二つの捜査本部は、どのルートに狙いを絞っているのだろう?
窓外の風景が市街地に変わると、静岡だった。
ノンストップの�ひかり223号�は、静岡、浜松、豊橋と通過していく。
名古屋駅に到着したのは、予定通り十五時一分だった。
名古屋を発車すると、四十五分で京都だ。
浦上が慎重に時刻表を繰って、三本のルートを書き出したのは、岐阜羽島を過ぎた列車が、米原に近付く頃だった。
犯人が完全を企らんだとしたら、�横浜�と�奈良�のどちらに、より多くの時間を必要としただろうか。
凶行現場を比較した場合、�奈良�の方が実行が簡単で、確実性が高い。
『ホテル信貴』へ呼び出し電話をかけてきたのは、犯人と見て間違いあるまい。と、すれば、犯人は寺沢一家の旅のスケジュールを承知しており、スケジュールの中から、�完全�がもっとも期待できる、大門池ほとりの桜の木の下を、殺人現場として設定したに違いない。
すなわち、(寺沢を呼び出すことに自信を持っていたのであれば)�奈良�は、犯行時間の計算ができるのである。
それに対して�横浜�の方は、人出が多い土曜日の白昼だ。
凶行はもちろんのこと、現場からの逃亡とて、なかなか計画通りにはいくまい。事実、犯人は、フランス山公園の散策路で、大月市から来た若い恋人同士にぶつかり、自分を見られてしまっているではないか。
どうしても、�横浜�の方に、時間を取っておく必要があるだろう。
浦上はそれらのことを勘案して、三つのコースをメモした。
王寺駅到着のタイムリミットを、十八時三十分頃と想定すると、�横浜�での持ち時間がもっとも多いルートは、大阪経由の(1)であり、以下名古屋経由の(2)、京都経由の(3)の順序となる。
(1)大阪経由
港の見える丘公園発 十三時二十分頃(徒歩十五分)
石川町駅(石川町|新横浜間正味二十分)
新横浜発 十四時一分 新幹線�ひかり349号�
新大阪着 十六時四十八分
新大阪発 十七時十分頃 地下鉄(正味二十一分+運転間隔最長八分=二十九分)
天王寺着 十七時四十分頃
天王寺発 十八時 JR関西本線快速
王寺着 十八時二十二分
(2)名古屋経由
港の見える丘公園発 十二時五十分頃
新横浜発 十三時二十九分 新幹線�ひかり105号�(臨時だが四月二日は運行)
名古屋着 十五時九分
名古屋発 十五時三十分 近鉄ビスタカー
大和八木着 十七時二十六分
大和八木発 十七時四十分頃
(正味十分+運転間隔最長二十分=三十分)
近鉄下田着 十八時十分頃
下田発 十八時二十六分 JR和歌山線普通
王寺着 十八時三十六分
(3)京都経由
港の見える丘公園発 十二時四十分頃
新横浜発 十三時二十一分 新幹線�ひかり223号�
王寺着 十八時二分
メモに書き出された推定時刻の「頃」というのは、時刻表の大判にも掲載されていないので、運行所要時間と運転間隔から、浦上が割り出した数字だった。
浦上は、いま、�ひかり223号�で西下中だ。すなわち、(3)は、現在、浦上が進行中のルートというわけである。
目的地が奈良なので、浦上は漠然と京都経由を選んでしまった。しかし、わずかな違いだが、実は、これが、�横浜�での持ち時間が一番少ないことになる。
(そういうもんかな)
浦上は苦笑しながら、時刻表をショルダーバッグにしまった。
列車は米原を通過し、右手に小さく琵琶湖が見えてきた。
京都が近付いたところで、車窓にはまた小雨がぱらつき始めた。
京都駅から奈良線の普通に乗り換えると、急に、地方へきた印象が強くなった。
古都は、京都も奈良も雨だった。
雨のために日暮れが早い。
浦上は予定通り、午後六時二分に、王寺駅へ到着した。岡崎川沿いのホームだった。この川はもう少し下流で石川と合流し、大和川となる。
浦上は混雑する跨線橋を渡って、駅を出た。