「興信所を名乗った尾行者は、波木和彦に間違いありませんね」
「二月中旬といえば、篠塚みや女史を訪ねた直後だな。大森を割り出したタイミングも合っている」
「和彦は、逸速《いちはや》くウイッグに気付いたってことでしょうか」
「鬘に気付き、造花の存在を知っていたとなると、誤殺どころか、これは、はっきりとターゲットを絞った計画的な殺人だな」
「捜査本部は、大森課長を探りにきた男の正体を、どう解釈しているのでしょうか」
「重要視していることは間違いないね。いまの女子社員は、事件直後に、山下署へ通報してるわけだろ。それなのに、捜査本部では、一切この情報《ねた》を伏せている。淡路警部までが、一言も漏らしてはくれなかったではないか」
「極秘裡に、捜査中ってことですか」
「だが、手がかりはゼロってところだろう。波木和彦は、だれにマークされることもなく、大阪ヘ出張中だからね」
谷田と浦上は、山手線に乗車してからも、検討と分析をつづけた。
有楽町から品川までは、正味十分である。
『徳光製靴』は、品川駅港南口から徒歩十五分ほどの、旧海岸通り沿いにあった。
広い敷地だった。
応接室は、池のある中庭に面している。
『徳光製靴』の方には、�興信所�は現れていなかった。
寺沢は、世田谷区北沢の自宅から自らの運転する乗用車で出勤しているわけだが、寺沢の帰りを待ち伏せたり、尾行したりする車はなかったようである。
社員たちは、だれ一人として、そうした不審に気付いていなかった。
ただ、奈良・京都の旅行寸前に、総務部へ電話が一本入っていた。家族旅行の、スケジュールの詳細を問い合わせる電話だった。
電話をしてきたのは、男の声であり、
『大宮工場からです』
と、告げたが、事件後に調べたところ、大宮工場では、だれもそうした電話をかけていないことが分かった。
当然、それは犯人サイドからの�確認�ということになろう。
しかし、寺沢の場合は、大森と違って、桜の花に特別な関心を寄せている事実はなかった。
谷田は、取材に応じてくれた秘書課長に向かって、最後に、寺沢の乗用車を尋ねた。
「クラウン4ドアのロイヤルサルーンでした。はい、ボディーはホワイトです」
と、秘書課長はこたえた。
二月十二日の深夜、波木明美を連れ去ったのは、白い車体の乗用車である。
(アーさんとイーさんは、大森と寺沢で決まりだな)
谷田は、そんな目で、浦上を振り返った。
だが、ここまで追及しても、なお分からないのは、大森と寺沢がどこでどうつながっているのか、ということだった。
大森と寺沢は、何ゆえ、ウイッグや眼鏡で�変装�していたのだろう?
繰り返し考えても、解けないなぞだった。