仲佐のマンションへ電話をかけるわけにはいかない。約束は午後一時過ぎだ。芸能プロダクションで働く男は、まだ眠っているだろう。
「和彦の方は大阪出張中だから、浦和へ行って、勤め先を探り出しても、早急にどうということはないな」
「念のために、四月二日の和彦の行動でも当たっておきますか」
浦上はたばこをもみ消して、気軽く立ち上がった。昨夜、浦和の留守宅へ問い合わせたのは、『毎朝日報』だ。
初めて電話をかける浦上は、説明の面倒を避けるために、『毎朝日報』とは無関係であることにし、二月の事件の取材を口実とすることに決めた。
赤電話はレジの横にあった。
「もしもし」
電話を伝わってくる和彦の妻の声は、素朴な感じだった。素朴な印象を与えるのは、語尾に、東北訛が交じっていたためかもしれない。
浦上は『週刊広場』を名乗り、
「残念ながら、お姉さんを襲った犯人の目星はまだついていないようですね」
と、当たり障りのないことから切り出した。
問題を絞ったのは、しばらく雑談をつづけた後である。
「先週の土曜日ですか? 二日と言えば、義姉《あね》の四十九日の、明くる日ですわ」
「法要は、新潟で済まされたわけですね」
浦和からなら日帰りでしたか、と、浦上が誘導すると、
「納骨は一日の午前中に終えました」
と、和彦の妻はこたえた。
「お寺さんで、皆でお昼食《ひる》をいただいて散会しましたが、わたしと主人は、その足で本荘《ほんじよう》へ向かいました」
「本荘?」
「秋田の本荘が、わたしの実家です。久し振りに新潟まで行ったので、それで、足を伸ばして帰郷しました」
下車駅である羽後本荘まで羽越本線のL特急で、新潟から三時間余りだった。
夕方には実家に到着。その夜と、翌土曜日と二泊し、夫婦は三日の午後、羽後本荘を発って、浦和へ帰ってきたという。
「ご主人は、ずっと奥さんの実家にいらしたわけですね」
「主人がどうかしたのですか」
素朴な妻の声に、ようやく不審がにじんだ。声の調子から察するに、妻は夫の和彦が強く関与する五日前の二件の殺人事件に、全く気付いていないらしい。
和彦の妻は、不審をあらわにしながらも、
「二日は、実家の弟の運転で、朝から秋田市内までドライブしました。本荘へ戻ったのは夕方でした」
と、こたえて、和彦のアリバイを証明した。不審を抱いても、ともあれ、こたえてくれたのは、東北出身である彼女の人柄だろう。
言ってることにも、うそはない感じだった。浦上は、彼女の発言を信じた。
(和彦は、後日、疑惑を抱かれたときに備えて、万全のアリバイを用意したのかもしれない)
浦上は、赤電話のコインを追加しながら、そう考えた。
浦上と谷田がたどり着いたように、「ラムゼでの文庫本入手」「篠塚みやから得た大森のヒント」「泰山女子社員に興信所を装って接近したことと、大森に対する尾行」「寺沢の京都・奈良旅行のスケジュールを確認する、問い合わせの電話」などを、捜査本部によって一つ一つ崩され、正体を白日の下にさらされた場合、絶対の防禦となるのが、本物のアリバイだ。
これで、実行犯(仲佐次郎)を隠しおおせれば、殺人動機がいかに浮き彫りにされようと、憎い二人(大森裕と寺沢隆)を葬る復讐劇は、幕を、完璧に下ろすことができる。
浦上は、しかし、和彦の本物のアリバイについて、もう一つ念を入れた。
すなわち、�横浜�の犯行時刻には、秋田市内へドライブしていたわけだが、�奈良�の犯行時刻はどうか。
「いまも言ったように、夕方には本荘の実家に帰っていました」
「ご主人は、そのまま翌日まで奥さんの実家にいらしたわけですね」
「そうですよ」
「夜、どこかへお出かけになりませんでしたか。たとえば、七時頃はどうでしょう?」
「週刊誌の記者さんが、なぜそんなことを調べるのですか」
さすがに、むっとした口調にかわった。それでも、彼女はこたえてくれた。
「夜七時頃も、実家にいました。主人は、実家で電話を受けていました」
「電話?」
浦上の頬が引きつった。全身の血が逆流するような驚愕に見舞われたのは、電話をかけてきた相手の、名前を聞かされたときだった。
いや、かけてきた相手と、和彦との関係を知らされたときである。
和彦の妻は、こうこたえたのだ。
「電話は次郎さんからでした」
「次郎さん? 仲佐次郎さんのことですか!」
浦上が、はっとしたように畳みかけ、
「奥さん、仲佐さんをご存じなのですか」
と、口走ると、
「知っているのが当たり前でしょ」
と、和彦の妻はこたえた。
仲佐次郎は、波木和彦の実弟だったのである。明美、和彦、次郎は三人きょうだいだった。
次郎の名字が異なるのは、母方の伯父の養子になっているためだった。伯父夫婦に子供がいないため、次郎は生後間もなく養子に出されたが、縁組は戸籍上のことだけだった。
次郎は北蒲原郡の波木の家で、明美、和彦と、文字通り実のきょうだいとして育った。高校までは新潟で終え、東京の大学に進学すると、そのまま故郷へは戻らず、大学卒業後は、『ASプロダクション』に採用されたのだという。
和彦は控え目な性格だが、上の明美と、下の次郎は、前向きというか、都会派的な一面を備えていたようだ。
それは職業からも想像できることだが、三人は、和彦の妻が見ても羨むほどに、きょうだい仲がよかったという。
次郎は、和彦以上に明美の死を悲しみ、
『何て男たちだ! 草の根分けてもその二人を捜し出し、ぶっ殺してやる!』
と、怒りを表面に出していたらしい。
それだけの気性なら、犯人捜しも、和彦ではなく、次郎が分担すべきだったろう。次郎が表舞台に登場してこなかったのは、その時期、テレビ映画のロケで、フランスとイタリアに渡っていたためと知れた。
菊名署の捜査本部が、長髪の実弟を承知していなかったのは、明美の遺体を引き取るとき、次郎が日本にいなかったからだ。
次郎は、巧まずして、ベールの向こう側へ隠れてしまった、ということになる。
和彦の妻への電話が、長くなった。
浦上は驚愕を必死に抑え、和彦の妻の機嫌を損ねないようことば遣いに注意して、最後の質問に移った。
「これは、取材とは直接関係のないことですが、次郎さんから電話が入ったのは、正確には何時頃でしたか」
と、雑談ふうに持ちかけると、また、東北訛の純朴な口調が戻ってきた。
「そうねえ、テレビでクイズ番組が始まったときだったわ。うん、あれは七時半からの番組でした」
「すると、七時半を、少し回っていたことになりますね」
と、話しかけながら、浦上の連想は、事件当夜の王寺へ飛んだ。
『ああ、行きも帰りも、電話ボックスへ駆けていったがね、帰りの方が時間がかかったな』
と、犯人のことをそう証言しているのは、犯人を乗せたタクシー運転手だ。それが七時半頃だったという。
浦上は運転手の話を聞いたとき、犯人《ほし》は殺人《ころし》の成功をだれかに報告したのかもしれないと考えたが、秋田県の本荘へかかってきた電話が、まさにそれだろう。
浦上はもう一度、赤電話にコインを追加すると、さり気ない口調で、和彦の妻に尋ねた。
「次郎さんの電話は、奈良からだったのではないですか」
「いいえ」
これは、はっきりした否定のことばが返ってきた。
「次郎さんが電話してきたのは、新潟のホテルです」
「それは確かでしょうね」
「どうして、次郎さんが関西へなど行くのですか。次郎さんは、わたしたちと一緒に、一日の法要に出席されたのですよ」
「次郎さんは、お寺さんの昼食を終えてから、早々と東京へ引き返されたのではありませんか」
「次郎さんは、一日、二日と新潟泊まりでした。次郎さんも新潟は久し振りなので、ゆっくり、町を歩いて見ると言ってました」
次郎は万代橋近くの『新潟ターミナルホテル』を、半月前から予約していたという。
しかし、ホテルを予定してあったからといって、それだけでは、次郎が新潟にいたことの証明にはならない。そんなことは自明の理だが、
「電話は、最初わたしが取りました。次郎さんは、いまホテルの部屋からだ、と、はっきり言ってました」
だから、新潟からかけてきたのに間違いない、と、和彦の妻は繰り返すのである。新潟滞在のもう一つの根拠は、電話を受けた和彦の妻に対して、
『明日は、何時の上越新幹線にしましょうか』
と、次郎が話しかけてきたことだった。
帰りの列車は、電話を代わった和彦が打ち合わせ、和彦夫婦は翌三日の日曜日、『新潟ターミナルホテル』のロビーで、和彦と落ち合っている。
そして、三人そろって、同じ新幹線で新潟を引き上げた。
和彦の妻が、何の他意もなく、一日から三日まで次郎が新潟にいたと思い込むのも無理はない。
(和彦と次郎の兄弟は、この純朴な女房をアリバイ工作に利用したな)
と、浦上は自分の中でつぶやいていた。浦上の内面で、犯人像が、より確固たるものとなったのが、このときである。
浦上は受話器を手にしたまま、ちらっと、谷田を振り返った。和彦の留守宅へ電話することに、大した期待はなかった。
言ってみれば、時間つぶしの一本の電話から、仲佐次郎の正体が割れるとは夢想もしないことだった。
仲佐の正体どころか、�十九時三十分頃�の電話までが、浮き彫りになってきたのである。
その時刻、犯人(すなわち仲佐)は王寺の電話ボックスに入っている。そして、その時刻、秋田県の本荘へかかってきた電話の相手が、その仲佐なのだ。
仲佐が新潟のホテルにいるはずはない。
だが、それを、和彦の妻相手に強調しても始まらない。
浦上は、話を二月の事件に戻して、長い電話を終えた。