浦上は山手線の電車内で、そのことだけを考えていた。昼前の電車は空いている。
(ぶっ殺してやる!)
と、全身が震えるような怒りに見舞われたとしても、恐らく、自分に殺人は実行できないだろう、と、思った。
なぜか。
良識だろうか。いや、違う。殺人を現実化できないのは、倫理をわきまえているからではない。度胸と、実行力を持ち合わせないためだ、と、そんなふうにささやく声が浦上の内面にあった。
度胸と実行力を伴わない�復讐計画�は、ただ、黒い渦の中へ内向していくだけだろう。しかし、和彦と次郎は違った。
和彦と次郎は、愛する姉を奪った、通り魔の不合理に対して憤怒の拳を振り上げ、相手を叩き付けたのだ。
姉の恨みを晴らすための、主導権を握っていたのは、二人の弟の中のどちらだろう?
「先輩は、和彦と次郎の心情を、どのように記事にするつもりですか」
「新聞記者《ぶんや》は、評論家でもなければ、神様でもない。取材した事実を、ありのままに書くだけさ」
「そうですよね。動機が何であれ、殺人《ころし》は犯罪だ。殺された方が悪くたって、殺したやつは手錠をかけられる」
「何をおかしなこと言ってるんだ。いまは実行犯をきちっと洗い出すことが先決だ」
電車は新宿駅に着いた。
谷田は、小田急に乗り換える前に、新宿駅のホームから、渋谷区上原の『リリイマンション』へ電話を入れた。
約束の時間には、まだ早い。しかし仲佐は機嫌を悪くするでもなく、すぐに電話口に出ると、
「こっちへ来てもらってもいいけど、新宿ならぼくの方も通り道です。三十分後にどうでしょうか」
と、新宿駅中央口近くの喫茶店を指定した。電話での口調は、昨夜と同じように物静かだった。