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大阪経由17時10分の死者44

时间: 2019-04-25    进入日语论坛
核心提示: 喫茶店は、武蔵野会館の並びだった。広い店内は、サラリーマンとかOLふうの客が多かった。 仲佐次郎は、ほとんど約束通りの
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 喫茶店は、武蔵野会館の並びだった。広い店内は、サラリーマンとかOLふうの客が多かった。
 仲佐次郎は、ほとんど約束通りの時間に現れた。
 黒っぽいコートでも、サングラスでもなかった。
 仲佐は金ボタンが付いた濃紺のブレザーで、グレーの替えズボン。スポーツシャツは縞柄。頸に巻いた水玉模様の絹スカーフが決まっており、いかにも芸能プロダクションで働いているという感じだった。
 その長髪が、喫茶店の自動ドアを入ってくると、一目で、仲佐であることが分かった。
 浦上は犯人像についての、いくつかの証言を対比させ、谷田は中腰になって、会釈を送った。
 仲佐は、満席の店内を縫うようにして、浦上と谷田のテーブルにやってきた。
 初対面の名刺を交換したのは、谷田だけだった。
 浦上が、谷田の横にそっと控える形を取ったのは、和彦の妻との長電話を意識したせいである。いずれ、時間の問題で、仲佐は『週刊広場』から電話取材があったことを知るだろう。
 そのとき、こっちの立場を取り繕い易くするためと、仲佐(と和彦)に余分な警戒を与えないために、『毎朝日報』のみを前面に出し、『週刊広場』は伏せることにした。
 質問の主役は、当然谷田ということになる。
 谷田は、仲佐の注文したレモンティーがテーブルに載ったところで、
「関係者のプライバシー問題があるので、詳しい事情は申し上げられないのですが」
 と、切り出した。
 仲佐を呼び出した口実は、飽くまでも「カステラの木箱」なのだ。まずは、もっともらしく、その方の�取材�から、始めなければならない。
「例のカステラの箱は、我社《うち》の若手記者が、昨日お話したように、横浜駅東口にある東田予備校で入手したものです。あなたがカメラマンの村田さんに差し上げる前に、どなたかあの木箱に触れた人はいないでしょうか」
「取材目的がよく分かりませんが、あれは東都ペンから頂戴したものです。ぼくは独り暮らしなので、大丸の包装紙を解いたときも、その後も、だれも手にしていませんね。お尋ねの主旨は、おすそ分けした村田さんか、ぼくに贈ってくれた東都ペン、あるいは取扱い店の大丸の方が、はっきりするのではないですか」
 仲佐はテーブルの下で脚を組み、レモンティーを口にした。
「ええ、東都ペンとか大丸でも、一応お話を伺うつもりです」
 谷田は取材帳をひざに置き、それらしくボールペンを走らせながら、質問をつづけた。
 浦上も、取材帳を開いてはいるが、実際に書きとめることは、何もありはしない。谷田と同じようにボールペンを使っているのは、本来の目的を、仲佐に気取られないための方便に過ぎない。
 本当の内偵は、取材帳を閉じたときから始まるのだ。
 それは、角度をかえての苦心の質問を、十分余りつづけた後できた。
「お忙しいところ、お時間を割いていただき、ありがとうございました」
 谷田は丁重に一礼して、取材帳をブレザーの内ポケットにしまった。
 それからピース・ライトに火をつけ、改めて、仲佐の名刺を手に取った。この辺りが、ベテラン事件記者の、強行取材の見せどころだ。
「おや?」
 谷田は半分ほど吸ったたばこを、もみ消し、
「失礼ですが」
 と、仲佐の顔を見た。
「失礼ですが仲佐さん、新潟のご出身ではありませんか」
「はあ。それが何か?」
「そうですか。新潟の北蒲原郡ですね」
 と、谷田が、きっかけをつかもうとして畳み掛けると、
「あれ、前にどこかで会いましたっけ?」
 仲佐は、きょとんとした顔をした。
「お目にかかったことはありません」
 と、谷田は言った。
「お会いするのは今日が初めてですが、お名前に記憶があります」
 谷田はもう一度確認するように、名刺を見た。それから、一言ずつ、区切るようにして言った。
「お姉さんが、波木、明美さん、ですよね」
「姉をご存じですか」
「ご愁傷さまでした。ぼくは二月の事件のとき、毎朝のキャップとして、菊名署の捜査本部に出入りしていました」
 そのとき、被害者に二人の弟さんがいることを知った、と、谷田はつづけたが、無論、これは言い訳だ。あのときは、そこまで取材していない。
 波木明美に、名字の異なる仲佐次郎という実弟がいることを知ったのは、さっき浦上がかけた和彦の妻への電話によってなのだ。
 しかし、ベテラン事件記者は、実際の取材過程など、おくびにも出しはしない。
 一方、仲佐の方も、
「そうですか。それは奇縁ですね」
 と、脚を組み換えて、新しい表情を見せたが、口の端に、不審をにじませるわけではなかった。二十六歳とは思えぬ、落ち着きがあった。
(この落ち着きが、計画通りに、二つの殺人を実行させたのか)
 浦上は、そうした目で、仲佐の、肩までもある長髪を見た。
 兄が尾行までして割り出した大森裕と寺沢隆を、弟が桜の木の下で刺して、仕上げた復讐のドラマ。
 殺人の日の三人の目撃者(大月市からきた二人の若い男女と、信貴山の土産物店の従業員)と、横浜市南区通町の刃物店の店主。この四人に仲佐を見せたら、どのような反応を示すだろうか。
 密かに照合を終えた、指紋という動かぬ物証もある。
 だが、仲佐が、二月の事件をちらつかされても、全く動ずる気配を感じさせないのは、一新聞記者の追跡調査がそこまで進んでいるなんて、想像もしないためだろうか。
 そう、警察が動いていないのだから、新聞社が先行することなど有り得ないと、高を括《くく》っているのかもしれぬ。
 それとも、あらゆる証拠がそろおうと、それを上回るアリバイ、殺人には決して参加できないという、確固たる現場不在証明が用意されているのか。
「通り魔事件の捜査の限界というか、菊名署の捜査本部は先週縮小されましたね」
 谷田が、じわじわと話を持ちかけても、
「そうですね。浦和に住む兄がそうした連絡を受けたようです」
 仲佐は、表情もかえずにこたえるだけだった。
 谷田はそこで一転、港の見える丘公園で発生した殺人を話題にし、
「現在、県警捜査一課の主力は、五日前に起きた殺人事件、山下署の捜査本部の方を応援していましてね、菊名署の捜査本部から移ってきた警部や刑事もいます」
 と、双方の捜査本部の重なり合いの深さをさり気なく強調しても、
「いろんな犯罪が続発するものですね」
 仲佐は、自分には関係のない話だという顔をしている。
 しかし、全く無関係なことではなかったのである。微妙に揺曳《ようえい》する何かを、浦上が敏感にキャッチしたのは、谷田が、さらに焦点を絞ったときだった。
「お姉さんが、不幸な亡くなられ方をしたのは、二月十二日でしたから、早いもので、もう四十九日を過ぎたわけですね」
 と、とぼけて水を向けると、仲佐は同じ表情で、一定の口調ながら、待っていたように話に乗ってきたのだ。
「犯人も検挙されておりませんし、ああした他界でしたので、法要は、ごく内輪の者だけで済ませました」
 と、仲佐は言った。
 仲佐は、谷田のペースに乗せられたふうを装いながら、納骨のための帰郷を、詳しく話題にしてきたのだ。
 久し振りの故郷だった。今年は新潟も桜の開花が遅く、四月一日現在ではつぼみも小さかった、というようなことを、仲佐は問わず語りで口にしたが、話題のポイントが、新潟での行動に置かれていることを、浦上は見逃さなかった。
(なるほど。兄弟は、相当計画的に対処しているんだな)
 と、浦上は考えた。
 仲佐の説明を事後工作と感じたのは、谷田とて同じことだった。それならそれで、仲佐の話を、相づち打ちながら聞かなければなるまい。
 谷田は新しいピース・ライトに火をつけた。
「お兄さん夫婦とは、同じ新幹線で行かれたのですか」
「ええ、一日の朝に出発しました。上野発六時十六分の始発でした。兄夫婦は大宮から乗ってきました」
「内々の法要とおっしゃっても、北蒲原郡には、ご親戚も多いのではありませんか」
「そんなことはありません。ぼくたちの両親はすでに他界しています。親しくつきあっているのは、ぼくの戸籍上の養子先である伯父一家だけです」
「伯父さんご夫妻は、もちろん列席されたわけですね」
「はい、三人できてくれました」
「三人?」
「ああ、ぼくを養子にした後で、伯父夫婦には子供ができたのですよ。よく言うでしょ、もらい子すると、なぜか実子を授かるって」
「なるほど。それで仲佐さんは、戸籍上は養子縁組されても、ずっと実家の方で育ったわけですか」
「伯父夫婦には跡取りができたのだから、ぼくの籍はいずれ波木家へ戻すことになるでしょう。しかし、その光司《こうじ》という実子が生まれたとき、ぼくはもう小学校に上がっていました。途中で名字変えるのもおかしいというので、今日まで、何となくそのままになっています」
 光司は現在、新潟の大学に通っているという。その光司を含めた伯父一家三人、和彦夫婦と仲佐、計六人による法要だった。
 納骨を終え、寺で昼食をとって散会。
 そして、新潟市内へ戻ったところで、仲佐は和彦夫婦と別れた。
 和彦夫婦は秋田県の本荘へ向かい、仲佐は『新潟ターミナルホテル』にチェックインしたという説明だ。和彦夫婦が羽越本線の下りL特急に乗車したのは、その通りだろうが、
(仲佐の方は、素直に、ホテルに泊まってはいまい)
 浦上はそんな目で、ちらっと仲佐を見た。
 これから後が、�アリバイ工作�の中心部分だ。
 仲佐は�横浜�と�奈良�で二件の殺人が発生した四月二日の行動を、どう説明するつもりなのか。
 谷田がもう一度、ピース・ライトの箱を取り出すと、
「ぼくにも一本くれませんか」
 と、仲佐は言った。たばこの持ち合わせがないところを見ると、普段は吸わないのだろう。
 仲佐は、谷田に火をつけてもらったたばこをくゆらしながら、問われるままに、といった口調で、
「新潟ターミナルホテルには、一日と二日、二泊しました」
 と、こたえた。シングルの512号室。
「ええ、帰りはまた、兄たちと一緒でした。二日の夜、ホテルの部屋から本荘の義姉《あね》の実家へ電話を入れると、兄たちは日曜日のL特急�いなほ12号�で新潟へ戻ってくるという話でした」
 羽後本荘を十三時十六分に発車する�いなほ12号�の新潟着は十六時二十三分。
 仲佐はいったんチェックアウトした『新潟ターミナルホテル』のロビーで、和彦夫婦と待ち合わせ、新潟発十七時七分の上越新幹線�とき476号�で、帰京したという。これは、四月三日だけ運行している臨時特急だ。和彦夫婦が下車した大宮着は十九時七分、終点上野到着は十九時二十八分。
 この辺りの足取りは、浦上が、和彦の妻から聞き出した通りだ。
『新潟ターミナルホテル』512号室からかけたことになっている電話を始め、すべて、リハーサル通りの説明だろう。
 問題は二日だ。
「二日の土曜日は、ずっと新潟市内にいらしたのですか」
 谷田はたばこをもみ消しながら、さり気なく訊いた。
「久し振りの帰郷なので、高校時代のクラスメートに会うつもりでした」
 仲佐もたばこを消した。
 旧友に会う意思はあったが、しかし仲佐は、二日の日は、どこも訪ねてはいなかった。
 電話で高校時代の友人を呼び出したのは、三日の日曜日になってからである。兄夫婦が本荘から引き返してくるまでの時間を利用して、三人のクラスメートに会ったという。
 なぜ、そうした慌ただしい時間に三人もの旧友を呼び出し、まるまる一日空いていた土曜日を一人で過ごしたのか。
(弁解は無用だ。だれにも会わなかったのではなく、会えなかったのだ。そして、その事実こそ、仲佐が�横浜�と�奈良�に存在したことの、確かな裏付けとなるのではないか)
 浦上の内面をそんなつぶやきが過った。
 仲佐は、こうこたえた。
「故郷で姉を偲《しの》んでいるうちに、どうにも気持ちが閉ざされてしまったのですよ。二月の事件を取材されたのなら、ご承知でしょうが、姉は一度結婚しています。見合いで一緒になった結婚が不幸な結果に終わったのは、夫の女関係が原因です。姉は夫に裏切られたのです。その姉が、短い結婚生活を過ごしたのが、信濃川の河口に近い緑町でした。ぼくは姉を偲んで、姉が新婚生活を送ったアパートの周囲を歩いてみました」
 仲佐の声が低くなった。
「町を歩いていると、姉の笑顔が浮かんできました。それが偽りの幸福とも知らず、公務員の夫を信じていた姉の笑顔。しかし、短い期間、姉が夫と呼んだ男には、結婚前も、結婚してからも、ずっと深い関係がつづく女がいたのです。ええ、東万代町の、バーで働く女でした」
 といった説明を、浦上は聞き流していた。明美が横浜へ流れてくるまでの過程に、どのような不幸があろうと、それは、いまの取材と直接の関連を持たなかったからである。
「姉が結婚に失敗していなければ、故郷を離れることもなかったでしょう。訳の分からない連中に拉致されて、理不尽な死を押しつけられるような、こんな目には遇わなかったはずです」
 仲佐は、低いが、確かな口調でつづけた。そうした経緯を、あれこれ考えていると、だれに会うのも億劫になり、土曜日はただぼんやりと新潟市内を彷徨していたという。
「納骨を済ませば、気持ちもふっ切れると思っていましたが、逆でした。故郷へ帰ったことで、姉の想い出ばかりが浮かんできて、本当に酒でも飲めるなら、浴びるほど飲みたい心境でした。でも、ぼくは、アルコールは一滴も受け付けない体質なので、ただ町を歩いていました。ま、翌日はどうやら気持ちも鎮まり、旧友たちを呼び出して、おしゃべりすることができましたけど」
 と、仲佐はそこまでつづけて、思わず話し過ぎた、というように軽く頭を下げた。
「これは、とんだ脱線をしてしまいました。姉が殺された事件を取材されたと伺って、つい夢中になってしまいました」
「こちらこそ、お時間を取らせてすみませんでした」
 谷田も一礼し、テーブルの上の伝票に手を伸ばした。
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