ロビーの床は真紅のじゅうたんで、シャンデリアが豪華だった。
マネージャーは、ちょうネクタイが似合う長身だった。四十代半ばという感じである。
谷田の名刺を見て、
「はい、今朝方お電話を頂戴しております」
と、マネージャーは頭を下げた。
『毎朝日報』東京本社業務局長からの電話だった。ホテル業界に顔が利く業務局長に、横浜支局長を通じて、取材の橋渡しを頼んだわけである。
マネージャーは、こちらが希望する三人をそろえておいてくれた。
新宿から転勤したフロント係、ルームサービスのボーイ、そして、電話交換手の三人だ。
「どうぞ、こちらへ」
マネージャーは広いロビーの、一番奥へ谷田と浦上を案内した。ショッピングアーケードの近くで、大きい観葉植物で区切られたスペースだった。
ソファに腰を下ろすと、ボーイがコーヒーを出してくれた。それを機に、マネージャーは一礼して去った。
先方の仕事の都合で、話は電話交換手から聞くことになった。
グリーンの事務服を着た交換手は、小柄だった。
「はい、その通りです」
交換手は、昨夕、マネージャーを通じて中山部長刑事にこたえた証言を、繰り返した。かかってきたのは、若い感じの男性の声だったという。
交換手は512号室を呼び出し、電話をつなぐ前に、仲佐次郎を確認した。
「仲佐様はお食事中でした。何か、お口に含んでいる感じの話し方でした」
「その、かかってきた電話ですがね」
と、浦上が訊いた。
「一口に外線といっても、遠方からだと印象が異なるものですか」
「は?」
「新潟市内からの電話と、たとえば秋田辺りからかかってきた電話とでは、プロのあなた方が受けた場合、どこか感じが違うか、という意味ですが」
「どうでしょう。そのときによると思います。国際電話でも、国内とかわらないことが多いですよ」
「二日の電話はどうでしたか」
「さあ」
特に記憶に残っていない、と、交換手はこたえた。
浦上と谷田は顔を見合わせた。何とか裂け目を発見したいと、ともかく新潟までやってきたものの、具体的な質問が用意されているわけではないのである。
最後に尋ねたのは、呼び出し電話が入った時間だ。
「はい、七時二十六分でした」
と、交換手はこたえた。これは、マネージャーから言われて、事前にチェックしてきたのだろう、すらすらとした返事だった。
結局、最初の質疑は、ほとんど発見も進展もないままに終わった。
次は、フロント係がやってきてくれた。新宿時代、『ASプロダクション』の社員たちとはよく接していたというフロント係は、
「ええ、仲佐さんは二年前から存じ上げております」
と、こたえた。
このフロント係は、一日夕方のチェックインのときも、三日朝のチェックアウトのときも、仲佐とことばを交わしているわけである。
「仲佐さんがこちらの出身であることは、今回初めて知りました」
というのだが、ともあれ顔見知りのフロント係と私的なことを話しているのだから、『新潟ターミナルホテル』に二泊した男は、絶対に替え玉ではない。
「仲佐さんに、どこか、いつもと違った印象はありませんでしたか」
と、つづける浦上の一言は、どうにも力がなかった。それは、質問を切り上げるためのものでしかなかった。
「いいえ。東京でお会いしていたときと同じでしたよ」
と、フロント係は言った。
「仲佐さんは、若いけど、いつも落ち着いている方です」
フロント係は、そうこたえて、ソファを立った。
「駄目だな」
谷田は吐息して、たばこをくわえた。
その一本のたばこを吸い終えたとき、三人目が現れた。
ルームサービスのボーイは、袖をまくったジャケットという、私服姿だった。宿直明けで帰宅するところだったのである。
「これはどうも、すみませんでした」
谷田は引き止めたことを、わびた。
質問は、やはり浦上が主体となった。
「あなたが、512号室へディナーを届けたのは、午後六時半ですね」
「はい」
ボーイはうなずいた。
「仲佐さんがどのような服装だったか、覚えていますか」
「と、おっしゃいますと?」
「ワイシャツ姿だったとか、あるいは浴衣に着換えていたとか、といったことですが」
これまた、確かな目的を持つ質問ではなかった。浦上自身、焦点を絞り切れないままに、ともあれ取っ掛かりを求める問いかけだった。
しかし、そこに光が差した。
初めての反応は、
「仲佐様が、お部屋でどのような服装をしていたのかは知りません」
ということばで返ってきた。ボーイの口調が、前の二人に比べて、ややぞんざいなのは、年齢が若いことと同時に、制服を脱ぎ、私服に着換えているせいかもしれない。
服装を知らない、とはどういう意味だろう? 次から次へと客に接するボーイは、わずか六日前のこととはいえ、相手の身なりなど、いちいち記憶していないのか。
「いいえ、そうではありません。あのとき、仲佐様には会わなかったのです」
「会わなかった? だって、あなたは、予約された時間に、夕食を届けに行ったのでしょう」
「仲佐様はシャワーを使っていました。ワゴンのまま置いていってくれ、と、浴室のドア越しに申されましたので、ぼくはその通りにしました」
「食後の食器を下げに行ったのは、八時頃だと聞きました。そのときも、仲佐さんに会わなかったのですか」
「はい。ごちそうさまでしたという電話がありまして、512号室へ伺うと、ワゴンはドアの外に出ていました」
食後、テーブルワゴンを中廊下へ出して置く客は珍しくないという。特に、カップルの場合にそうした例が多い、と、ボーイは言った。そんなときは、もちろん室内には声をかけない。ボーイは黙って、テーブルワゴンを引き下げてくる。
そのときも、そうだったというのだが、
(おかしくはないか)
浦上は、はっとしたように、谷田の顔を見ていた。
512号室に、男性客がいたことは間違いない。だが、ボーイは、その男性が仲佐であったと証明することができない。一度も顔を合わせていないのだから。
ルームサービスでディナーを食べた男は、ボーイに顔を見せることができなかったのだ。
なぜか?
(そいつが替え玉か)
(仲佐は確かに、新潟ターミナルホテルに投宿しています。チェックインのときも、チェックアウトのときも、きちっと姿を見せています)
(二泊三日をまるまる使った代役ではなく、ポイントである二日の夕食時にのみ用意した、替え玉か)
(夕食時だけの替え玉というのが、盲点でしたね)
浦上と谷田は、ことばに出さなくとも、一瞬のうちに、それだけのことを、目と目で語り合っていた。
浦上は、谷田の顔面に緊張が走るのを見た。その緊張が、そのまま自分に反映してくるのを感じた。
あの日、あの時刻、仲佐は新潟にはいなかった。それが、浦上の内面で、不動の確信となった。
あの日、仲佐は朝早く、そっと『新潟ターミナルホテル』を抜け出したのだ。
�横浜��奈良�と二つの殺人を完了して、(浦上が想定したように)新大阪発二十二時六分の寝台特急�つるぎ�で、新潟へ戻ってきたのだ。
仲佐は、二日のディナーを、新潟で食べていない。
新潟へ帰ってきたのは、翌三日の朝、六時四十六分だ。
しかも、この替え玉説を裏付ける、もう一つのデータが出た。
浦上は質問を切り上げるとき、震えを押し隠すようにして、
「仲佐さんのことで、他に、何か気付いたことはありませんか」
と、訊いた。
フロント係に対したのと同じように、これは質疑を終えるための、形式的なものであったが、
「仲佐様からは、食事をお届けする前にも、お電話をいただいております」
と、ボーイはこたえた。
電話は、ブランデーの注文だったというのである。
「ブランデー?」
「ハーフボトルをお持ちしました」
「待ってくださいよ。食事が終えたとき、ボトルはあいていましたか」
「はい、空になっておりましたが」
ボーイは、質問の意味が分からないという顔をした。それはそうだろう。夕食のために注文したアルコールなら、あけるのが当然だ。
しかし、浦上と谷田にとっては、それこそが、勝利の念押しに他ならなかった。
仲佐は、アルコールを全く受け付けない体質ではないか。
ブランデーを一本もあけるとは、これはもう、(そこにいた男は)絶対に仲佐ではない!