しかし、午後三時過ぎに、フロントで夕食の予約をした事実、これは絶対だ。
この絶対的な事実を、仲佐は、なぜこれまで打ち出さなかったのか。
事実は事実でも、これは究極のところ、現場不在を証明することにならないのかもしれぬ。
浦上が、それに気付いたのは、何となく歩いて、新潟駅まで引き返したときである。
というのは、午後三時過ぎに�新潟�にいても、�横浜�と�奈良�の犯行に参加できるということだ。
そんなことが可能なのか。
朝、『新潟ターミナルホテル』を出発すれば、�横浜�の殺人は容易だから、ポイントは�横浜�以降ということになる。
「何を発見したんだ、嫌に難しい顔になってきたな」
「一から、やり直してみます」
浦上は待合室のベンチに腰を下ろし、ショルダーバッグから時刻表を取り出した。
�横浜�の犯行後、午後三時、すなわち十五時過ぎに『新潟ターミナルホテル』のカウンターに立つことができるのか。
そして、十五時過ぎに、新潟を出発して、十八時二十二分に、関西本線王寺駅へ到着することが可能なのか。
「空路しかないな」
谷田はそう言って、ベンチの前に突立ったまま、浦上をのぞき込んだ。
しかし、東京—新潟間に民間機は飛行していない。
嫌でも横浜から上野まで出て、鉄道を利用するしかないのだ。間に合うのか。
�横浜�と�奈良�、アリバイは、二つとも完璧に崩さなければならない。二件の殺人《ころし》は、同一犯人であることがはっきりしている。一方がクロで、一方がシロという解決は有り得ないのだ。
浦上は、見開いた大判時刻表の上に、取材帳を載せた。取材帳には、これまでにチェックしたダイヤのすべてが、書き出してある。
「微妙なところですね」
浦上の横顔が、さらに難しいものにかわってくる。
「ぎりぎりですね」
浦上が書き出したのは、�あさひ317号�だった。これは新潟に十五時四分に到着するが、次の�とき415号�は、新潟着が十五時五十分になってしまう。「午後三時過ぎ」にホテルへ入るわけにはいかない。
「�あさひ317号�を利用するには、上野駅では駆け込み乗車となります。これじゃ、完全犯罪とは言えません。ちょっとしたアクシデントでもあれば、間に合わなくなってしまう」
「それはどうかな。上野で、予定の上越新幹線に乗ることができなければ、�奈良�へ直行すればいいじゃないか。晩めしの予約は市外電話でもいいだろう」
谷田は浦上が提示する数字を確かめながら、そう言ったが、
「ぎりぎりでも、駆け込み乗車ができれば、メモはこれで十分だ」
と、口調を改めた。
「第二案の�奈良�直行が用意されているから、予定の上越新幹線に乗り遅れても構わないってことですか」
「そうじゃない」
谷田は話を戻した。
「おい、よく考えてみろ。犯行時間は、実際には、十一時から十二時の間と断定されているんだぞ。きみは余裕を持たせて計算している。それは当然だし、その方がいいわけだが、たとえば、十一時に殺人が完了していれば、港の見える丘公園出発を、きみのメモより三十分早めることができる。しかも、このダイヤは、根岸線、京浜東北線と、いわば鈍行で、石川町から、上野へ向かう計算だろ。途中、横浜—東京間を湘南電車利用にすれば、時間はもう少し短縮できる」
メモの上ではぎりぎりの乗り換え時間でも、現実にはもう少し余裕があったと見ていい。そう繰り返す谷田の声に、力が込もってきた。
浦上も、そうだったというように、うなずいていた。表情が明るくなってきた。
�新潟�まで引き返すことが可能なら、次の分析は�新潟�から�奈良�へ行くルートだ。
こっちは空路があった。
新潟空港から大阪空港へは、一日四本のJASCが飛行している。
慎重に時刻表を繰る浦上の目に、ほっとした色が宿ったのは、それから十分余りが過ぎたときだった。
港の見える丘公園発 十一時三十分頃(所要一時間三十七分)
上野発 十三時八分 新幹線�あさひ317号�
新潟着 十五時四分
(タクシー利用、『新潟ターミナルホテル』経由、空港まで四十分)
新潟空港発 十五時五十五分�JASC796便�
大阪空港着 十七時十分
大阪空港発 十七時二十分頃
(タクシー三十分)
アベノ(天王寺)着 十七時五十分頃
天王寺発 十八時 JR関西本線快速
王寺着 十八時二十二分
大阪経由十七時十分。それが、壁の向こう側に隠されていたルートだった。
空港からの所要時間は、「市内・空港間の交通案内」欄を参照としたものである。
「すぐに横浜へ帰ろう。上越新幹線に食堂車はなかったかな」
「ビュフェでいいでしょう。ビュフェで乾杯といきましょう」
「報告電話は、車内からかければいいか。よし、一分でも早く帰ろう」
谷田は、二階の新幹線コンコースへ向かって歩き出していた。
その大柄な背中に、さっきとは全く異質な表情が浮かんでいるのを、浦上は見た。