翌日も朝から蒸し暑かった。
先に目覚めた千代は、松岡のズボンに付着する赤土を見て、
「あら? ゆうべは気付かなかったけど、あんた、どこを歩いてきたのよ」
ブラシをかけようとした。
「余計なことをするな」
慌てて寝床から這い出した松岡は、千代の手を制した。
「仕事着なんだ。ブラシなどかける必要はない」
「おかしいわよ。このズボンを穿いて、横須賀まで戻るのでしょ。電車の中で変に見られるわ」
「そんなことより、信用金庫の手続きは大丈夫だろうな。今日中に、済ませてくれるんだろうな」
つい、本音が出た。
いま、考えなければならないのは、それだけだ。
昨夜の酔いが遠のいて、松岡は、また落ち着きを失いかけている。
松岡は、千代の手からズボンをひったくるようにした。
その一瞬だった。
美知子の赤いサイフが、ズボンのポケットから滑り落ちた。
「あ、これはね」
松岡が乾いた声を発するよりも速く、千代は赤いサイフを拾い上げていた。
「これ、美知子のサイフでしょ」
母親は敏感だ。
「あんた、何か隠してるわね」
千代が、思わずそう口走っていたのは当然である。
ズボンをひったくるときの、松岡の慌てかたも不自然だったし、何よりも、そのサイフが「発覚」したことで、松岡の顔面が蒼白に変わっている。
しかし、松岡の隠蔽しているのが、我が子の死体だなんて、千代に考えられるはずもなかった。
それが表面に出たのは、気まずい空気の中で、朝食を始めたときである。
横須賀から、二人の刑事が訪ねてきた。
付近の農夫によって、早朝、沼に浮かぶ美知子の全裸死体が発見され、別の農夫が、松岡の捨てた美知子の所持品を、雑木林の中から見つけ出したのだった。
正確には農夫の連れていた犬が、美知子の「遺品」をくわえてきた。
学生証明書があったために、死者の身元は簡単に割れた。
「美知子が?」
泣きかけて急にやめたような、こわばった表情を刑事に見せた千代は、その顔を、そのまま松岡に向けた。
松岡は気の弱い男だ。
千代のまなざしに克てるわけはなかった。
「ともかく、遺体を確認していただきます」
と、刑事はつづけた。
刑事は、一緒に朝食をとる松岡と千代を夫婦、つまり、美知子の両親と思ったらしいが、そうでないことをすぐに察したようである。
刑事は松岡と千代の間に、一歩踏み込んできた。
「雑木林を捜索した結果、遺品は大体発見されました。しかし、サイフが見当たらないのです」
と、説明する刑事の声を、はるかに遠いもののように、松岡は耳にしていた。