坂道は、崖の中腹を曲がりくねって、下の大通りへつづいている。
崖の上は市営プールであり、崖下は住宅地になっているが、すでに、どこも雨戸を下ろしている。
舗装はされているけれども、坂道は細かった。
左へ、急に折れる辺りに、外灯がひとつあった。
その外灯を背にして、山下と長沢は千佳と昇治の前に立ちはだかった。
(なかなか、いかすじゃねえか。こんなカワイ子ちゃんなら、文句ねえや)
山下は、外灯に照らし出された千佳の全身を、じろじろと見詰めた。
ドスの利いた声で睨《にら》みつけたのは、長沢のほうである。
「おい、おまえたち、公園を何だと思ってやがるんだ!」
「は?」
昇治と千佳は、思わず掌を握り合った。
「やい、いい気になっていちゃつきやがって、オトシマエをつけてくれるだろうな」
一人前の、やくざ者を気取った口調になっている。
もちろん、こうしたところへ本物の組員が通りかかったりしたら、山下と長沢は顔色変えて逃げ出したに違いないのだが、昇治と千佳がまんまとその脅しにかかってしまったために、長沢はいい気になった。
「オレたちは、関西からきた一家のもんだ。こっちの兄貴は、ハマでは知られた代貸しさんだ」
と、口から出まかせを並べ立てた。
やくざ映画のシーンを、適当につなぎ合わせたせりふに過ぎない。
ついつい調子にのって、
「この場で指を詰めてもらおうか」
というようなことまで言っている。
これには、後で取り調べに当たった野毛署の刑事も、口をあけてあきれかえったものだが、昇治たちが、山下と長沢の実体を見抜けないのは、やむを得ないことであった。
地方出身の昇治と千佳は、大都会の暗い部分に無知だった。
それに、山下と長沢のことばの中に、仮に不自然なものを発見したとしても、脅されているのは、事実なのである。
充実した空気をふいに割ってきた、革ジャンパーの山下と長沢が、ただ不気味だった。
「指を詰めるのは、かわいそうだな」
と、人気のない周囲を見回してから、山下がことばを挟んだ。
昇治と千佳が、畏縮し切ってしまったために、山下の口調にも余裕が出ている。
山下は思いつくままに言った。
「いくら持っているんだ?」
「ぼくたちは、ただ公園を歩いていただけです」
「ふざけるな! 金だよ。指を詰めるのが嫌なら、金で話《なし》をつける以外にねえだろう。違うか!」
もちろん、金が欲しいわけではない。
昇治と千佳の分断の方法を、ふと思い付いたまでだ。
後の自供によると、これも、やくざ映画の影響であったらしい。
昇治と千佳は、合わせて六千円足らずの現金しか持っていなかった。
山下はその全額を受け取ると、待っていたというようにつづけた。
「冗談じゃないぜ。せめて、あと一万円はそろえてもらわなければな。これだけでは、うんとは言えない」
五万とか十万という金額は、相手の服装から推して、無理かもしれない。
だが、一万円ぐらいなら、どこかで借りてくることができるだろう。
昇治の若さを見、瞬時にそれを「計算」した上での「要求」であった。
昇治が現金を都合してくる間、喫茶店かどこかに、千佳を待たせておくという筋書きもその場で思いついた。
無論、昇治が姿を消せば、そのまま千佳を拉致《らち》するつもりだった。
この辺の計算と間の取り方は、一端の悪党ぶりと言えようか。
そして、ことは、そのもくろみ通りに運ばれたのである。
昇治が要求を拒否できるはずはなかったし、昇治は昇治で、一万円を用立ててくると見せかけて、交番へ駆け込めばいいのではないか、と考えを巡らしていた。
「いいか。おかしな真似をすると、カワイ子ちゃんが痛い目に遭うぞ」
山下は、坂道を下りると、日ノ出町駅前の喫茶店を指差して、
「オレたちはあそこで待っている」
と、うそぶいた。
千佳は、口も利けないほどにおびえ切っている。
(心配することはない。すぐに戻ってくるからな)
昇治は千佳に目で告げると、日ノ出町駅に向かった。
山下と長沢の視線が背中に注がれているような気がして、この場で巡査派出所へ足を向けるわけにはいかなかった。
昇治は隣の黄金町まで、一駅だけ京浜急行に揺られると、走って駅の階段を下りた。
しかし、警察官と一緒に駆けつけた日ノ出町駅前の喫茶店に、千佳の姿はなかった。
もちろん、革ジャンパーの二人の男もそこにはいない。
「さあ」
そうした三人連れはこなかった、と、ウェイトレスは首をひねった。
「お願いします。早く千佳さんを捜してください」
昇治は、いまにも泣き出しそうな顔を警察官に向けた。
「あいつら、やくざなんです。関西からきた一家だと言ってました。このままでは、千佳さんがどうなってしまうか、分かったものではありません!」
その頃、山下が運転する赤いスポーツカーは、久保町の坂道を下って、国道1号線を横切ると、天王町のマンションへと向かっていた。
「おとなしくするんだぜ。さっきの野郎の十倍もかわいがってやるからよ」
長沢は後部シートで、舌なめずりを繰り返していた。
そう言いながらも千佳の右腕をねじ上げるようにして、ひざの上に組み伏せているのである。