山下の部屋は、マンション六階の一番東側だった。
駐車場へつづく裏口から入ったために、管理人の目はごまかすことができた。
しかし、エレベーターの中で、同じ六階に住む主婦と一緒になってしまった。
(まずいな)
山下は、長沢と顔を見合わせて、舌打ちをした。
だが、次の瞬間、山下は開き直っていた。
(オレが何をしようと、オレの勝手ってもんだ)
これはオレのプライバシーだ、と胸の中でつぶやき、千佳の肩を抱き寄せて、ささやいた。
「静かにしていれば、すぐに帰してやる。でもなあ、下手に騒ぎ立てたら命はないぞ。いいな」
それから、不気味な沈黙がきた。
気味の悪い沈黙の中で、エレベーターは六階へ直行し、千佳は山下の部屋に連れ込まれた。
握り締めた千佳の両掌が、じっとりと汗ばんでいた。
千佳は、エレベーターで同乗した主婦に、何度救いを求めようとしたかしれない。
しかし、恐怖が先に立ち、千佳は口を開くことができなかった。
「最初に、公園であの男がやっていたのと同じことを、してやろうか」
長沢は、部屋に入って後ろ手にドアを閉めると、千佳の肩を小突いた。
べたべたと、所構わず、大きいヌード写真が張り出されている部屋だった。
気ままに暮らしている日常を反映して、室内は乱雑だ。
ウイスキーの空き瓶とか、インスタントラーメンの容器などが転がっている。
その汚れてちらかったカーペットの上に、いきなり千佳を押し倒したのは、長沢のほうだった。
「おまえ、いつもあんなことをしているのか。ボーイフレンドは何人いる?」
長沢はにたにたと笑った。
「何するんですか」
「何するだと? あの男と同じことをしてやると言ったはずだぜ」
「お願いです。帰してください」
「ほう、おまえ、そんなに立派な口が利けるのか。でもな、ここでは、泣いてもわめいても無駄だ」
長沢は革ジャンパーを脱ぎ捨てた。
それが発火点となった。
山下と長沢は、文字通り飢えた野獣のように、千佳に襲いかかった。
ジャケットを取り、ジーンズを脱がせ、やわらかい肌にぴっちりと食い込んでいる純白の下着までも、外しにかかった。
「やめて! やめてください! だれか、だれか助けて!」
千佳はむき出しになった胸のふくらみを押さえて、叫んだ。
自分でも無意識のうちに、口を衝《つ》いてきた絶叫であった。
「助けてください。だれか、だれかきて!」
体を守ろうとする処女の、本能が発した悲鳴とも言えようか。
千佳の悲鳴は、ドアを通して中廊下にも流れた。
これを耳にしたのが、先ほどの主婦だった。
この主婦は、髪を乱して土気色の顔をした千佳に普通でないものを感じた。
当然だろう。
定職にもつかず、ぶらぶらしている山下に対して、前々から疑惑の念を抱いている住人は多い。
主婦はエレベーターを降りると、いったん自分の部屋に入ったものの、どうにも気になって、改めて中廊下へ出ると聞き耳を立てていたのだ。
そこへ聞こえてきた絶叫である。
主婦は自分の部屋へ取って返すと、ためらわずに一一〇番のプッシュボタンを押した。
そうした主婦の行動を、山下と長沢が知るはずもなかった。
「いくらでも、わめけ。ここはオレの城だ。泣いても叫んでも、だれもきてくれるものか!」
山下は、引き千切るように、千佳の下のものを外すと、その白い肌に、分厚い唇を押し当てた。
「本当に、いい体をしている。想像していた以上だ」
長沢のほうはそんなつぶやきを繰り返しながら、ふくよかな乳房への愛撫をつづけている。
千佳は懸命に体をよじろうとしたが、男の力にかなうわけもなかった。
大の男が二人して、上半身と下半身を押さえつけているのである。
千佳は下唇をかんだ。
だれにも見せたことのない肌を、昇治にさえも見せたことのない体を、見も知らない男の自由にされている。
そう考えると、苛立ちと口惜しさのにじんだ涙が、頬を伝わってきた。
昇治とは違って、二人の野獣の、指の動きは乱暴である。
(どうして、こんなことになってしまったのかしら)
千佳は、次第に、声を出すこともできなくなっている。
一時間前の、公園でのあの幸福な一刻が脳裏を過《よぎ》ると、また一筋、新しい涙が頬を伝わった。
「もういいだろう」
山下が長沢に話しかけたのは、どのくらいが経《た》ったときであろうか。
しかし、それで千佳が解放されるわけではなかった。
山下と長沢は、ぐったりしている千佳を見下ろして、ジャンケンを始めた。
一方的な、強烈なペッティングの後で、本番への順序を決めようというのである。
それを知ったとき、恐怖と怒りの入りまじった、複雑な感情が、千佳の背筋を這い上がってきた。
血を吐くような思いで、千佳は叫んだ。
「やめて! あたしを帰して!」
「静かにしなよ。怒鳴っても無駄だと言ってるのが分からねえのか」
長沢が目をむき、山下はにたりと笑った。
山下のほうが、ジャンケンに勝ったのだ。
山下は改めて、千佳の裸身に手を伸ばしてきた。
「何を震えているんだ。こんないい体をしていて、初めてというわけじゃないんだろうに」
チャイムが連打され、ドアが激しくノックされたのが、そのときである。
主婦の通報で駆け付けた、二人の警察官であった。
千佳は危ないところを救われた。
山下と長沢は、恐喝、不法監禁、婦女暴行未遂容疑で、逮捕された。
山下と長沢にとっては、万事が「完全」に運ばれたはずだった。
こうした場合、被害者が訴え出ることは少ない、ということを、遊び仲間から聞いてもいた。
エレベーターで同じ六階に住む主婦と擦れ違ったことが、山下と長沢にとっての「完全」に、裂け目を生じさせたことになる。
警察官が踏み込んできたそのとき、千佳は無我夢中で衣服をまとったけれど、ジーンズを穿《は》き、ジャケットに腕を通すと、改めて、悲しみと怒りがよみがえってきた。
千佳はその場に、わっと泣き崩れた。
十九歳の千佳が受けた傷は、昇治にも想像できないほど、深かった。
それから五日が過ぎて、岩手地方にも桜が花ひらく頃、千佳はだれにも告げず、そっと故郷へ帰って行った。
そして、山下と長沢は身柄を送検され、昇治も、次のあてもないままに、製菓会社を辞めた。
四人それぞれの前に口を開けていた、青春の陥穽《かんせい》、と言えばいいのだろうか。