葉子は、こうなったら、影の力のままになるより仕方がなかった。
入野の息遣いが次第に激しくなり、ラジオの音が遠くなったとき、葉子の体の一隅を、強い痛みが走っていた。
初めて経験する痛みだった。
「どうだ、いい気持ちだろう」
葉子の苦痛の反応を楽しむかのような、入野のつぶやきが、すぐ耳元にあった。
そこで入野は、葉子の口中に差し込んであるパジャマを取った。
「真っ暗な上によ、満足に声も聞こえないのでは、楽しみも半減するからな」
入野は勝手なことを言った。
いまさら、葉子が騒ぎ立てるはずもなかった。
口からパジャマを外されても、葉子の息苦しさは変わらない。
男の、汚れた汗のにおいを避けるようにして、葉子は半泣きの口調で言った。
「お願い。何でも言うことを聞くから、あたしを離して」
「女は、皆うそつきだ。女のことばを聞く耳など、オレは持っちゃいない」
「あんただれなの? どうしてこんなひどいことをするの?」
「それを聞いてどうなる? オレがだれだっていいじゃないか」
「あ! やめて!」
葉子の低い叫びが、部屋の中の闇を流れた。
入野の、軍手をしたほうの左手が、その口を封じた。
「がたがた騒ぐことはないぜ。男と女は、こうなることに決まっているんだ」
入野はさらに葉子の肌に力を込め、葉子の中の激痛が広がっていく。
暗闇の下の、嫌な時間は、どのくらいつづけられたであろうか。
アパートは密集しているのに、何の物音もしない静か過ぎる夜だった。
葉子にとっては、この上もなく長い時間であった。
初めて知る男の体臭と、激しい痛みが、葉子の思考を奪っている。
男に対する怒りまでが遠くなり、判然としない悲しみと焦燥だけが、葉子に残った。
「音楽を聞きながらってのも、悪いもんじゃないな」
入野は、長い時間が過ぎて上半身を起こしたとき、すっかりいい気になっていた。
そして、手探りで葉子のベルトを見付けると、むき出しの葉子を、そのまま後ろ手に縛り上げた。
いつもと同じ手口だった。
「悪く思うなよ。オレが完全に遠ざかるまで、一時間ほど、そうやってじっとしていてくれればいいんだ」
抑揚を欠いた、話し方だった。
葉子の太股には一筋、尾を引くものがあったけれど、入野はそこに向ける注意を持たなかった。
入野は、これまでの犯行と同じように、葉子のポシェットを引き寄せて、現金を抜き取った。
それから、入口横の、ベビーだんすの前に立った。
「下着類は、どこの引き出しに入っているのかな」
「え?」
「今夜の記念に、何枚かもらっていこうってわけさ」
暗闇なので確かめることは、不可能だが、入野の横顔に浮かんでいるのは、間違いなく、歪んだ表情だけだった。
そこには、妻に裏切られた不幸な男というイメージはなかった。
そうなのだ、犯行の出発点が何であれ、いまの入野は、�婦女暴行魔�以外の何ものでもなかった。
葉子がためらっていると、入野は勝手に引き出しを探った。
入野は、ブラジャーとパンティーストッキングを取り出していた。
そして、それらをパジャマの下に巻き付けると、平然と、表のドアから、外廊下へ出て行った。
入野はさり気なく周囲に気を配りながら階段を下りて、路地に抜けた。
奇妙な充実感が、影の小柄な全身に広がっている。
過去の二十一件同様、今夜も、黒い計画は予定どおりに完了されたのである。
しかし、今夜の葉子は、これまでの二十一人のOLとは違っていた。
これまでの被害者は、後ろ手に縛られたロープなどを、ほどくことのほうを優先させた。
若い女性とすれば、それが当然かもしれない。
半裸の恥ずかしい姿のまま救いを求めるなんて、なかなかできないことだ。
従って、警察への届け出が遅れ、影の男の逃亡を助ける結果となってきたのだが、葉子は違った。