姫路市は、瀬戸内海の方角から、暮れ始める。
広峰山から見下ろす内海が、すっかり夜の闇に覆われると、市街地の明かりが目立ってくる。
雨は多くない土地柄であるが、市街地の周辺には、広大な水田がつづいている。
もっとも、とうに稲の刈り入れは終わり、いまは、いずれも枯れ田と化している。
が、いずれにしろ、市街地の明かりと、闇に覆われた周辺との対照は際立っており、いかにも、地方都市という感じだった。
闇と言っても、しかし、完全なる闇夜ではなかった。
午後から吹きつづけた北風が雲を流して、満天の星空であった。
その星明かりの県道を、ガンメタリック、4ドアのセダンが走っていた。
広峰山から白国へと下り、姫路市内へ通じる県道である。
運転席でハンドルを握っているのは、一見、大学生といった感じの、若いハンサムな男だった。
いかにも育ちのよさそうな、柔和な横顔の青年だ。
白いタートルネックに、紺のブレザーがぴたり似合っているのは、おとなしい髪型のせいかもしれなかった。
要するに、表情といい、ヘアスタイルといい、この若者は、まじめ一辺倒の学生という印象なのである。
強いて相違点を挙げれば、そのハンドルさばきが、ものすごく、乱暴であることだろうか。
若者は、ハンドル片手に、ラークに火をつけた。
たばこを吹かしながらも、力一杯にアクセルを踏みつづけ、カーブにさしかかっても、まったくスピードを落とそうとはしないのである。
このガンメタリックのセダンが、姫路市内に入り、一定の速度で、駅前の大手前通りまできたのは、駅の大時計が、午後八時半を指す頃だった。
男は、大通りをちょっと左にそれた、コンビニエンスストアの横で車をとめると、舗道に降りた。
しかし、車を離れようとはせず、助手席のドアに寄りかかった。
男は、しばらくすると、ドライバー用の革手袋をはめたまま、新しいラークをくわえ、しゃれたライターで火をつけた。
大通りをそれているとはいえ、この辺りは姫路の中心だ。
間もなく午後九時になるというのに、歳末の人の動きは絶え間がなかった。
忘年会の流れらしい、酔った男たちの姿も多い。
どこの店でかけているのか、一際ボリュームを上げたジングルベルが聞こえてくる。
(イラクで何が起ころうと、日本は、みんな結構な景気じゃないか)
若い男は、吸いかけのたばこを足元に捨てた。
物静かな横顔とは裏腹に、つぶやきには下品な響きがあった。
そして、その視線は、間断なく、付近を通る若い女性に向けられているのである。
おとなしそうな学生を装っているこの男こそ、渋谷久男の仲間、西田長治にほかならなかった。
西田もまた、組織の準構成員にさえ加わったことはないけれども、無軌道な生活に憧れている男の一人だった。
西田は、渋谷と違って、家庭には恵まれていた。
渋谷は両親が離婚しており、中卒後、工員などを転々としてきたのであるが、西田は広峰山の付近で、一応地主として知られる素封家の三男だった。
しかし、西田は中学生の頃からぐれ出して、高校を中退してからというもの、一度も正業についたことがなかった。
年齢は渋谷と同じ二十六歳だが、西田はいまだにぶらぶらしており、夜になるとこうして、長兄の乗用車を持ち出したりして、市街地へ下りてくるのが常だった。
しかし、服装に留意し、もっともらしく大学生を装うのは、�ナンパ�のときに限られている。
初対面の女性に対して、�学生�が無言の信用を与えることを知ったのは、夜の町での遊びを覚えてからである。
『オレは脅しには向いているが、女に声をかける柄じゃない。その点、おまえは女好きのするハンサムだ。おまえが声をかければ、スケは、ほいほいついてくるのと違うか』
と、渋谷がハント計画を持ちかけたときにも、西田が大学生を装うという点では、すぐに意見の一致をみた。
『朝から晩まで、工場で油に汚れて働くなんて、ほんま、くそおもしろくもねえや』
と、渋谷は言った。
未知の女性の警戒心を避けるため、ハント役は一見おとなしそうな西田が受け持ち、後日の脅しのほうが、渋谷の分担ということになった。
そして、女性を車に誘い込んだ当夜、渋谷は、県道沿いのファミリーレストランなどで、待ち伏せているという段取りだ。
渋谷と西田が、黒い企みを初めて打ち合わせたのは、半年前の六月中旬だった。
二人は、その夜のうちに、早くも第一回目の犯行を成功させている。
夜の町で知り合った二人は、�ナンパ�に関して、ぴたり息が合っていたと言える。
だれにも気付かれない夜の裏側で、二人の犯行は重なった。
『見ろよ。だれ一人として、サツに訴えるスケなんかいやしない。思ったとおりや。表沙汰になって困るのは、スケのほうなんやからな』
『相手さえ慎重に選べば、半永久的に楽しめるってわけか』
『そうや、嫁入り前の、おとなしそうな娘だけを狙うんや』
すでに、渋谷と西田が犯した相手は、二十人を超えている。
犯行を重ねるたびに、二人とも、奇妙な度胸がついた。
度胸のついたことが、渋谷と西田を調子づかせた。
(ちえっ、こんな寒い風の中でいつまで待たせるんだ。早く、かわゆいカモが現われないかな)
セダンに寄りかかった西田は身勝手なつぶやきを漏らし、また一本、新しいラークに火をつけた。
それから十五分が過ぎる頃、そのおとなしそうな西田が、実はオオカミであるとも知らず、不用意に、コンビニエンスストアの横を通りかかる二人連れのOLがいた。
長谷川文江と田口幸子の二人である。
二人とも二十一歳。
会社の忘年会の帰りだった。
文江も幸子も、お互いカクテルを飲んでいた。
ここちよくカクテルの酔いが回っていることと、二人連れである点に、ひとつの陥穽《かんせい》があった。