翌日の午後、薄汚れたダスターコートを着た男の長身は、都内池袋の、映画館の中にあった。
男は、ウイスキーのポケット瓶を手にしている。
朝から飲みつづけだった。
上映されているのは、話題のアメリカ映画だったが、男の関心は、スクリーンには向けられていなかった。
男は目立たないように、何回となく座席を移動している。
ウイークデーの午後ということもあって、館内はあまり込んでいない。
やがて、暗がりに慣れた男の視線が、一人、一番後ろの座席にいる女性の姿をとらえるのに、それほど時間はかからなかった。
このとき、笹野和子がそこにいたのは、不幸な偶然と言うべきだろうか。
和子は、練馬区内の賃貸マンションに住む二十七歳の主婦だった。
和子はカルチャーセンターの生け花教室で講師をしているが、教室に出るのは、週に二回だけだった。
その教室の帰りに、ふらっと立ち寄った映画館である。
髪の長い和子は、和服が似合う体型だった。
(ええやないか)
男はポケットウイスキーの残りを飲み干すと、
(悪くない女やで)
スクリーンに見入る和子を、じっと見詰めた。
昨夜、雪の中で美也子を襲ったときと同じように、その血の気のない横顔に冷たい笑みが浮かんでいる。
男の名前は、田辺一成といった。
ちょっと見たところでは、年齢のつかみどころもないが、まだ二十五歳の若さなのである。
田辺は、まともな思考能力を持たない男だった。
(どうせ、オレの一生はムショを往復するだけや)
何かに突き当たると、必ず、同じつぶやきが口を衝《つ》いて出る男だった。
親も兄弟もなく、大阪から流れてきた身の上なのである。
田辺は「昨日」を捨てた時点で、「明日」をも奪われていたと言えるだろう。
前夜につづくこの日の行動も、田辺の「生活」に即して言えば、決して常軌を逸しているわけではないのだ。
田辺は、実は昨日の午前、更生を誓って府中刑務所を仮出所した矢先だった。
本来なら、本籍地の大阪へ帰り、保護司を訪ねるのが順序であったはずなのに、田辺に「更生」の意識はなかった。
一年間、刑務所の壁の中で抑えられてきた欲望を、思う存分に発散させたい。
田辺の念頭を占めているのは、それだけだった。
昨日、古い仲間を相模原市に訪ね、無情にあしらわれたこともいけなかった。
田辺が初めて東京へ来たのは五年前だが、仲間はその頃の同僚だった。
新宿歌舞伎町のクラブで、一緒にボーイをしていた石沢という男だ。
石沢は水商売から足を洗い、相模原市内のガソリンスタンドに職を替えていた。
田辺が何も切り出さないうちに、
『悪いけどよ、オレはもう昔のオレじゃないんだ』
石沢は、ことば少なくつぶやいて、横を向いた。
刑務所帰りの田辺が、金でも借りに来たと考えたのかもしれない。
田辺は嫌な気がした。
身寄りのない田辺は人恋しさが先に立って、それでかつての仲間を訪ねて行ったのに過ぎない。
しかし、石沢のほうでは、田辺のことを「前科者」としか、受けとめていなかった。
人間と人間の関係は、やはりそういうものか、と、田辺は思った。
(どうせオレは、傷害と婦女暴行で、一年間も臭いめしを食ってきた男や)
田辺は黙って石沢に背を向け、ガソリンスタンドを出た。
そして、雪道を歩いて横浜線の淵野辺駅まで戻ると、大衆食堂で安酒を飲んだ。
コップ酒を重ね、独りの酔いが深まるにつれて、
「どうでもええやないか」
持ち前の気性が頭をもたげた。
少年の頃から、窃盗と、婦女暴行と、傷害の罪を繰り返してきた男であった。
二十五歳の若さであるのに、三回も、刑務所を出入りしてきたのである。
こうして昨夜、安酒に酔った田辺は、
(保護司だって、まともに、相談には乗ってくれないやろ)
これからどこへ行くというあても定めないままに、淵野辺駅前の、バス乗り場付近にたたずんだのだった。
そんな田辺の前を、昨夜、河田美也子が通りかかったのは「不幸な偶然」であり、いま、映画館の暗がりの中で、笹野和子が、歪みを歪みとも意識しない田辺の視線にとらえられてしまったのも、不幸な偶然としか言いようがないわけだ。
和子は、新婚半年目の若妻だった。
夫は浜松町の旅行会社に勤めるサラリーマンであり、当然なことに、幸せ一杯の毎日だった。
生け花教室の帰途、時間があるままに、一人、映画館へ足を向けたのが、いけなかったのか。
細かい花模様の和服を着た和子は、コートをきちんと畳んで、ハンドバッグと一緒にひざの上に置いている。
和子はスクリーンの動きに合わせて、時折笑い声を立てたりしているが、それは極めて若やいだものであり、独身であるかのような印象さえ与えた。
(二十六、七というところやな)
田辺は的確に和子の年齢を判断し、昨夜の美也子よりは手応えがあるだろう、と、考えたりした。
田辺はそういう男だった。
すべての支えを失った男には「ムショ帰り」の意識しか念頭になかった。
今回の服役も、逮捕された直接のきっかけは、五反田のゲームセンターで、女高生にいたずらしたことに始まるのだが、一年前のことは思わなかった。
考えたところで、どうなるわけでもなかった。
田辺は、飲み干したポケット瓶を、そっと足元に置いた。
座席はいくらでも空いているのに、ゆっくりと一番後ろへ行くと、無遠慮に、和子の隣に腰を下ろした。
薄暗いのをいいことに、和子の整った横顔をじろじろと見詰めた。
昨夜の、人気のない建築中のビルとは違って、映画館の中なのである。
だが、騒がれたらどうするか、といったことへの配慮など、田辺が持ち合わせるわけもなかった。
一方、和子は、すぐに田辺の不自然さに気がついた。
きっぱりと拒否するように、席を替わってしまえば、田辺は、それでもなお追ってくる執拗さは見せなかったはずだ。
田辺にそれほどの度胸はなかったし、女性は何人でもいるのだから、改めて物色すればいいわけである。
和子が、このときすぐにそうした行動をとらなかったのは、あるいは、育ちのよさに原因があったのかもしれない。
和子は、どちらかと言えば、控え目な性格でもあった。
たとえば、電車の中などで、向かい合って座った男から嫌な視線を浴びせかけられたようなとき、和子は見返してやることもできなければ、すっと席を立つこともできない一面があった。
お嬢さん育ちゆえだろうか。
和子の父親は、大宮市の開業医だった。
積極的に応じてくる翔《と》んでる女は別として、和子のようなタイプが、もっとも痴漢の対象になり易いのである。
田辺は、並んで腰を下ろしてから、一分と経たないうちに、それを見抜いていた。
いわば、犯罪の積み重ねによって身につけた嗅覚、とでも言えばいいのか。
昨日の美也子も含めて、田辺がいままでにレイプした女性は、軽く三十人を超えるだろう。
こうなれば、後はじっくりとチャンスを窺《うかが》うだけだ。
田辺は、この二分か三分の間のスリルに、前戯にも似た快楽を覚えるのが常だった。