それは、確かに、そのとおりなのだ。
こうした犯罪を重ねてきた男には珍しく、気性が淡白であったというわけではないけれども、田辺はなぜか、一度知ってしまった女を、二度と相手にする気にはなれなかった。
親の顔も知らずに、施設を転々として育ってきたことにも、遠因があるのかもしれなかった。
何かというと、独りの世界に閉じ籠《こ》もってしまう性格であった。
親しい友人もいなければ、もちろん、恋愛の経験もない。
大阪のキタでぐれていた頃、その筋の下部組織に顔を突っ込んだことがあったが、それも長つづきはせず、東京へ流れてきた。
だから、昨日、相模原市に石沢を訪ねたことにも、深い意味はなかった。
仮出所したので、何となくおしゃべりでもしようと思ったのに過ぎない。
もう一歩突っ込んだ何かを、古い仲間に求めようと考えたわけではないのである。
女性に対しても、そうだった。
石沢と一緒に、新宿歌舞伎町のクラブでボーイをしていた頃、こっちの出方によっては、同棲でもしようというホステスがあらわれたことがあったけれど、田辺は見向きもしなかった。
本能的に、人を拒否する一面があった。
そうして刑務所を出入りしているうちに、その場限りの「相手」へ手を出すことに、充足感を見出すようになった。
最初は、安酒に酔った一人寝の部屋で、歪んだ想像の世界に浸るだけであったが、いつともなく「想像」を実行に移すようになり、そのことの目的だけで、町をさまようようになった。
(どうなってもええ。どうせオレの人生なんか知れたものや)
警察に逮捕されることを何とも思わないのだから、狙いをつけられた女性にとって、これほど物騒なオオカミはいない。
田辺は次第に息遣いを激しくしながら、
「…………」
と、和子に命じた。
「そんな」
和子の口元がふるえた。
和子の拒否は、しかし、明確なことばにはならなかった。
が、いずれにしろ、田辺の力をはねのけられるわけもなかった。
和子は、田辺のそこに触れさせられている指先に、熱いものを感じた。
夫からも、こうした行為を求められたことはなかった。
しかも、一片の心のつながりさえないのに、あたしはそれ以上のことを強要されている。
和子の頬を涙がつたった。
田辺の指の動きが、一層激しくなったのがその直後である。
それは場所柄もわきまえず、和子に声を出させるほどの執拗さであった。
やがて映画が終了したとき、和子は、どうやら着物のすそは合わせたものの、ぐんなりと座席の背に寄りかかっていた。
田辺の長身は、すでに、影のように消えていた。
このアクシデントに気付いた人間は、だれ一人いなかった。
田辺が、ふたたび婦女暴行容疑で逮捕されたのは、その翌日である。
府中刑務所を仮出所してから、わずか三日目の再逮捕だ。
田辺のような男を、何と説明したらいいのだろうか。
全く働く意欲を持たず、更生の意思からもほど遠い田辺は、その日も、通りすがりの女性にアタックしたのだった。
何と、一日一件の割である。
今度は世田谷区内の閑静な住宅街が舞台であり、相手は下校途中の女高生だった。
この日、蒲田駅裏の安宿で目を覚ました田辺は、仮出所のときに手渡された現金の残りを確かめながら、例によって、あてもないままに電車に乗った。
東急を乗り継ぎ、大井町線の尾山台駅で降りたのが、午後二時近くである。
きちんと区画された住宅地をぶらぶらと歩いているうちに、件《くだん》の女高生と擦れ違った。
「えろう、すんまへんが」
田辺は美也子を誘ったときと同じように、静かな口調で話しかけていた。
「あんたの通っている高校は、どこでっしゃろ」
「あたしは」
と、女高生が校名を告げると、
「ほう、そりゃちょうどよかった。実は、その高校の学生さんの定期券を拾ったのですがね。まだ交番に届けていないんや。あんたから、その学生さんに渡してもらえませんやろか」
自分のアパートはすぐそこだ、定期券はアパートに置いてある、と、田辺は口から出まかせを言った。
ともかく、人気のない場所へ連れ出してしまえば、何とかなる。
そう考える田辺には、「常識」は当然のこと、前後の見境さえも失《な》くなっていた。
女高生はすぐに、そうした田辺の不審に気付いた。
女高生は前日の和子とは違って、無抵抗なタイプではなかった。
女高生は、傍目には田辺に応じているかに見えたが、間もなく態度を変えた。
二人の歩いて行く先に、巡査派出所が見えてきたときだった。
女高生はものも言わずに走り出すと、派出所へ飛び込んだ。
「待ちたまえ」
派出所の警察官に呼びとめられた田辺は、どういう神経なのか、逃げも隠れもしなかった。
「ええ娘《こ》やさかい、かわいがってやるつもりだったのや」
田辺は、ぬけぬけとそうこたえていたのである。
こうして田辺は、現行犯として本署に連行されたわけだが、取調室の態度も、投げやりもいいところだった。
自分のほうから、雪の夜の相模原で美也子を犯した事実と、池袋の映画館で和子にいたずらしたことを、べらべらとしゃべったのだ。
この種の事件は、どうしても、被害届が少ない。
実際、美也子も和子も、まだ所轄署に訴えてはいなかったのだから、隠そうと思えば、隠し通すことができたはずだ。
また「連行」の直接のきっかけとなった女高生の場合は、実際には誘いをかけただけで何もしていないのだから、この一件だけなら「微罪」釈放の余地が十分あっただろう。
それなのに田辺は、蒼白い頬に微笑さえ浮かべて、「過去」までも語り、最後にこう言った。
「また、ムショに逆行か。この前のときも、女高生からアシがついたんや。今度はたった三日間の、短い旅行やった」
田辺は何を考えていたのだろう?
田辺が生きていくための支えは、「塀」の向こう側にしかなかったのか。
そうかもしれぬ。
刑事の前で微笑を見せているとはいうものの、そのやせた横顔に浮かんでいる表情は、どうにもとらえにくかった。
東京にはその夜、この冬になって二度目の雪が降った。