タクシーを駐車場に置いて、中《なか》の島《しま》をぶらぶらと歩いているときだった。
女は食堂の店先に立っていた。女は、やはり何かを質問している。店員に向かって、何枚かの写真を、提示したりもしている。
「間違いないな、あれは人捜しだ」
谷田は先方に目を向けたままつぶやくと、女が立ち去るのを待って、その食堂へ寄った。
「はい、男の人をお捜しでした」
食堂の女店員は、谷田の質問にこたえて、言った。
女が捜していたのは、三十代半ばの男性だった。
『一昨日か、昨日、こういう人を見かけなかったでしょうか』
それが、男性の写真を示しての、女の問いかけだった。
「で、心当たりがあったのですか」
「いいえ。この人出でしょう。よほどのことがなければ、いちいち覚えていませんわ」
と、女店員はこたえた。
渡月橋《とげつきよう》も、一杯の人波だった。修学旅行の中学生も多い。
「意味ありげな女だな」
「新聞記者《ぶんや》さんの神経に、ぴんと響きますか」
郁恵は茶化した言い方で、谷田の顔を見上げた。
「それにしても、行く先々で、よく出会うわね」
「彼女も、観光タクシーを使っているってことだな」
「うん、昨日ホテルで、相談していたじゃないの。観光は、結局、同じような所を回ることになるのね」
「と、なれば、こうして出会うのも、偶然ではないか」
渡月橋を渡ってしばらくしたとき、また女とすれちがった。
保津川《ほづがわ》下りの、船着き場の近くだった。
この川端は、観光客が少ないせいもあってか、
「あら?」
髪の長い女も、谷田夫婦に気付いた。
「失礼ですが」
谷田は話しかけていた。隠そうとしても、社会部記者の顔になっている。
「失礼ですが、どなたかをお捜しですか」
「は?」
女は、昨日と同じように、きまりの悪そうな顔をした。
「今日も、どこかでお目にかかりまして?」
女はそんな言い方で、観光タクシーで洛西を回ってきた、とこたえた。
「どうやら、ほとんど同じコースを歩いたようですね」
谷田が、そう言って質問をつづけると、女は人捜しの事実は認めたものの、詳細には触れなかった。
それは、それが当然だろう。たまたま旅先で出会ったというだけの人間に、プライバシーを口にするほうがおかしい。
だが、谷田の�関心�は、このまま引き下がることを許さなかった。谷田が、『毎朝日報』の記者であることを告げ、横浜支局にいることを言うと、
「奇縁ですわね。あたしも横浜ですの」
女は、谷田と郁恵の顔を交互に見た。しかし、自分は名乗らなかった。
谷田は両腕を組んだ。いくら関心を寄せたからといって、これ以上、女を問い質《ただ》せる立場ではなかった。
「同じ横浜に住んでいるのも、何かのご縁でしょう」
谷田は、ことばを探すようにしながら、名刺を取り出した。
「余計なことですが、何かお困りのことがありましたら、電話でもください。お力になりますよ」
「恐れ入ります」
女は丁重に名刺を受け取ったが、最後まで、自分の名前は口にしなかった。
女は一礼して、渡月橋の人込みへ戻って行った。
髪の長い美女は、だれを捜しているのだろう? 恋人か。それとも夫がいなくなってしまったのだろうか。
それにしても、紅葉《もみじ》狩りで人捜しとは、妙な女性と出会ったものだ。
谷田夫婦は更に市内観光をつづけ、夕方、堀川通りへ戻ったが、ホテルに女の姿はなかった。
女は、今日のうちに横浜へ帰ったのか。あるいは、行方不明の男を追って、京都以外の、別のどこかへ移動したか。
もう一泊した谷田と郁恵は、予定どおり、月曜日朝の新幹線で、古都を離れた。
浦上へのみやげは、地酒のほかに、すぐきの樽《たる》詰めを買った。
樽詰めのほうは、二つ買った。日頃、昵懇《じつこん》にしている神奈川県警捜査一課の課長補佐、淡路《あわじ》警部に対するみやげだった。
列車が京都駅のホームを出ると、
「あなた、ありがと。いい旅だったわ」
郁恵は名残《なご》り惜しそうに、鴨川《かもがわ》と、遠去かっていく町並に目を向けた。
郁恵は、髪の長い女との出会いを、それほど気にとめていなかった。
一つの殺人事件が明るみに出たのは、それから三日後の夜である。
十一月三十日、木曜日。
横浜を中心点とすれば、京都とは逆方向の秋田県|横手《よこて》市で、男の毒殺死体が、発見された。