横手市内をいくら聞き込んでも、「千葉」と覚《おぼ》しき男は浮かんでこなかったし、届けが出ている家出人捜索願いも該当者なしと判明したことでの決断である。
「東京へ行かせてください。足立区の西新井というところに、千葉が居住していなかったとしても、千葉を割り出す何かがあるはずです」
山岡は刑事課長に申し出た。
(咄嗟《とつさ》の当て推量《ずいりよう》で、偽《にせ》住所を告げる人間も少ないだろう)
それが、「東京へでも」と口にした署長の一言から得たヒントだった。
死者の顔写真と、死体の指紋コピーが用意された。
こうして、山岡と原が乗車したのは、横手発二十時四十五分、福島経由の急行�津軽《つがる》�だった。
遠く、青森を始発駅とする�津軽�は、寝台急行ではなかった。
週末ではあるし、急なせいもあって、寝台特急は取れなかった。五十近いベテランにはこたえる夜汽車だが、観光ではないのだから、ぜいたくは言えない。
途中駅の湯沢《ゆざわ》、新庄《しんじよう》辺りまでは空席もあったが、山形まで来ると�津軽�は満席になった。山形発は二十三時三十九分。
以後、上《かみ》ノ山《やま》、赤湯《あかゆ》、米沢《よねざわ》、福島《ふくしま》、郡山《こおりやま》と深夜の駅に停車しながら、夜行列車は東京へ向かった。
若い原は、ポケットウイスキーを飲んで軽い寝息を立て始めたが、隣席の山岡は、黒磯《くろいそ》、宇都宮《うつのみや》、小山《おやま》、大宮《おおみや》などの停車駅を、浅い眠りの中で捕らえていた。