「しかし、突発的なものじゃないな。白井が好きだったという、スコッチを用いての毒殺。この手口は計画的だ」
「白井という男は、大津の実家も悪くないし、金には困っていなかったのでしょ。何で、こんな大金が必要だったのですか」
「確かに、昨年来三回を数えた�一時流用�も、どこか腑《ふ》に落ちない」
「これまでの三回は、やはり、まとまった大金横領への伏線だったのでしょうか」
「問題はそこだ。陰にだれかいるのは間違いないが、簡単には、公金横領の共犯が浮かんでこないんだな」
「白井は、黒い交遊関係を持つもう一つの顔を、完全に隠していたってことですか」
「そりゃそうだ。自分が管轄する売上げ金とともに、姿を消したのだから」
「すると、気が弱い小心者というイメージは、周囲を欺《あざむ》く仮面だったことになります」
「結果的にはそうだが、大津の小、中学校時代のクラスメートも、白井が内向的だったと証言しているそうだ。だから、共犯者が、白井の内気な性格を利用したとも考えられる」
「脅迫ですか」
「だが、そうだとしたら、脅されるべきどのような弱味を、握られていたのか」
「それにしても、一つ職場が長かったのに、同僚たちがだれ一人として、不審に気付かなかったのですかね」
浦上がそう言って、コーヒーを飲み干すと、
「横手の部長刑事《でかちよう》の話では、藤森アパートってのは、借り手もつかない老朽家屋だそうだ。白井は、なぜそんなぼろアパートに潜んでいたのだろう」
谷田は首をひねった。
「人目を避けるのに絶好、と、考えたからでしょう」
「現在はどこにあるのか知らないが、一億四千万円の現金を手にして消えた男だよ。人目を避ける方法は他にいくらだってある」
「そうですね、ぼろ家でインスタントみそ汁ってのは、侘《わび》し過ぎます」
浦上が同意すると、谷田は低い声で言った。
「ちょっとした変装をして、鄙《ひな》びた温泉宿でも泊まり歩く。逃亡者としては、そのほうが自然だと思うけどな」
「一方通行で、共犯者からの連絡を待っていたことは、考えられますね」
「死体発見のきっかけとなった、例の男の電話か」
「共犯者でなければ、白井の偽名とか潜伏先を知らないはずですよ」
「でも、妙なんだな。電話の男が共犯ならば、その男が、白井を毒殺した犯人って構図だろ」
「そうですね、白井が死んでいるのを承知していて、電話の呼び出しを頼むのは不自然ですね」
「どっちにしろ、一ヵ月契約で藤森アパートを借りたのは、影の人物の指し図に従ったのだと思うよ」
「そう、白井は、東北に土地鑑がないわけですからね」
「人が寄りつかないぼろアパートで、賃貸契約した一ヵ月の間に白井を始末する。それが、共犯者である影の、最初からの構想だったのではないかな」
「犯行日は十一月二十五日の午前から、二十六日午前の間ですか」
浦上が取り出した朝刊に目を向けると、
「こんな殺人《ころし》が、秋田で起こっているなんて、知らなかったね。まさにその頃、オレは京都にいた」
谷田は珍しく複雑な顔をした。
「こっちは久し振りの女房孝行で、洛西の紅葉《もみじ》狩りだったが、東北の紅葉は、もう終わっていただろうな」
「そうか、先輩が京都を歩いてから、今日でちょうど一週間になるんですね」
「今度はきみの出番だ。横手へはいつ出かける? 他の週刊誌も押しかけるんじゃないかな」
「その点では早いほうがいいし、編集長の意向次第ですが、ぼくとしては、もう少し、横浜《こつち》の動きを見てからにしたいですね」
浦上は考えながらこたえた。
谷田のポケットベルの鳴ったのが、それから間もなくだった。ここからなら、電話をかけるより、直接、支局へ上がったほうが早い。
それを機に、谷田と浦上は、大岡川沿いの喫茶店を出た。