浦舟町にも中村川が流れている。
堀割りに沿って、市立大病院と並ぶ場所に、八階建てのマンションは立っていた。『ハイツ芝台』は三分の二が分譲であり、本島が入居しているのは、賃貸のほうだった。
本島は三十七歳になるのに、白井同様独身だった。
独《ひと》り暮らしの本島は、ドアチャイムを鳴らしても、応答がなかった。そこで、隣室を訪ねると、
「本島さんなら、三時頃出掛けましたよ。雀荘へ行くと言ってました」
隣室の男はこたえた。隣人は、本島が出入りするマージャンクラブを知っていた。
三人の刑事はマンションを出ると、隣人から教えられたとおりに、横浜橋通りの商店街を抜けた。
マージャンクラブは、商店街のアーケードが切れた先にあった。
本島は、オープンシャツにセーターというラフな服装だった。
なるほど、大和で聞き込んだように、明るい声で、調子よく笑う男だった。
(東北の人間には珍しいな)
同じ横手の人間である山岡と原は思った。
「ちょっと抜けるわけにはいかないんだが、ま、仕様がないでしょう」
本島はそう言うと雀荘の主人に代わってもらい、近くの喫茶店へ出てきた。
「あなたはホクエツの白井さんと親しくされていたそうですな」
白井が毒殺されたニュースは承知しているだろうに、なぜ、警察へ電話一本かけてこなかったのか。
コーヒーがテーブルに載ったとき、山岡部長刑事が当然の疑問を口にすると、
「だれかが事件に巻き込まれた場合、その知人は、いちいち警察へ連絡しなければいけないのですか」
本島は眼鏡《めがね》のフレームに指をやり、笑顔で言った。
「そりゃ、通報の義務はありません。でも、あなたは、白井さんの大津の実家へ泊まるほど、仲がよかったわけでしょう」
山岡は、�横手出身�は後に回し、白井と本島の交遊関係から、質問を始めた。
「関係ですか。会社には、おおっぴらにしたくないのですが、刑事さんに隠すのは、かえってよくないでしょうね」
本島はショートホープに火をつけた。大きく、たばこの煙を吐いてから本島はこたえた。
「はっきり言えば、ぼくと彼はギャンブル仲間です」
「ギャンブル?」
すると、大和の『和泉マンション』の隣人が、エレベーターの中で耳にした競馬の話もそのとおりだったのか。
(エリートサラリーマンの、もう一つの顔か)
山岡部長刑事はそんな目で、原刑事を見た。
この本島にしても、いまは脚《あし》を組んでたばこをくゆらしているが、明日、会社へ出れば、営業部の係長として、まったく別な顔に変身するのだろう。
この、もう一つの顔が、何を隠しているのか。
「白井さんとのおつきあいは、いつからですか」
「三年か、三年半ぐらいになるでしょうか」
双方の会社が近いので、昼食をとるレストランが共通している。何度か同じテーブルで昼食をするうちに、相互の趣味が分かって、それで、いつともなく親しくなったのだという。
「お互い、家へ帰っても、女房もいない独《ひと》り暮らしでしょ。ついつい、酒かギャンブルということになりますね」
本島は、それが持ち前の性格なのか、ぺらぺらとしゃべったが、ふと、何かに気付いたようにたばこを消した。
「しかし刑事さん、ギャンブルと言っても、マージャンとパチンコのほかは、たまに競艇か競馬をやるくらいなもので、生活を乱すようなことはしていません」
「昨年、白井さんの大津の自宅へ行かれたのは、どういう目的でしたか」
「目的と言いましても」
本島はちょっと口|籠《ご》もってから、あれが唯一のギャンブル旅行でした、と、言った。
「実は、彼と共同で買った大井《おおい》の馬券で、ちょっとまとまったキャッシュを手にしましてね。二人共有の収益なので、どこかへ旅行でもして、今度は競艇をやってみようということになったのです」
お互い年休をとって出掛けた先が、浜名湖《はまなこ》と、大阪の住之江《すみのえ》だった。大津へ二泊したのは、そのときだったという。
山岡部長刑事は、そこで質問の口調を改めた。
「ニュースでご承知のように、毒殺された白井保雄は、公金一億四千万円を拐帯《かいたい》した容疑者です。親しくおつきあいをしていた立場として、何か思い当たることはありませんか」
「業務上横領についてですか」
「たとえば、ギャンブルでの借金が重なって、返済に困っていた、というようなことはなかったですか」
「刑事さん、ことばのはずみで、ぼくと彼はギャンブル仲間だなんて申しましたが、いまも言い直したように、それほど大げさなことをしていたわけではありません」
「しかし、会社の年休をとって、大阪まで競艇しに行ったわけでしょう」
「ですから、それは、たった一度だけです」
「一億四千万円もの大金に手をつけた動機が、どうもよく分からんのですよ。白井が本当にギャンブル狂であったなら、ギャンブルの借金返済ということで、それなりに説明がついてくる」
「知りませんよ。ぼく、彼とプライベートなつきあいはまったくなかったので、それで、刑事さんに交遊関係の内容を質問されて、ギャンブル仲間、と申し上げたわけです。ほかに、こたえようもありません」
「大金横領の動機は、見当がつかないというのですな」
「知るわけないでしょう。彼が、会社の売上げ金を持ち逃げする人間だなんて、考えもしませんでした」
「白井が殺された場所については、どう思いますか」
「質問の意味がよく分かりませんが」
「土地鑑のない横手で殺害されたのはなぜか、ということです」
ベテラン部長刑事は、知らず知らずのうちに詰問調になっている。
「本島さん、あなた、われわれと同じ横手の人間ですってね」
「ぼくを疑っているのですか」
さすがに、本島の顔から笑みが消えた。
「彼がなぜ横手に隠れていたのか、ぼくは知りません」
「あなた、藤森アパートの、家主の電話番号をご存じですか」
「やめてくださいよ、刑事さん。ぼくはこんなふうにかかわりたくないから、彼が殺されたことについて、横を向いていたのです」
「せっかくだから、協力してください」
山岡は、口調を少し和《やわ》らげた。
「十一月二十五日の土曜日と、二十六日の日曜日、あなたはどこにいましたか」
「彼が、毒殺された日ですね」
打てば響くような、返事だった。事件の報道には、人一倍の関心を寄せていたことが窺《うかが》われる。
本島はまたショートホープをくわえたが、火はつけなかった。
「実は、ぼくはあの日、横手に帰郷していました」
「二十五、二十六の両日ですか!」
思わず勢い込んだのは、若手の原刑事だ。
「なぜ、それを先に言ってくれなかったのですか」
「そんなことを口に出せば、もっと強く疑われるでしょう」
「帰郷の目的は何ですか」
「それが」
本島は一瞬言い澱《よど》み、目の前の三人の刑事を、交互に見た。
「横手へ帰った目的は二つありましたが、一つは白井君に会うことでした」
「何だって?」
三人の刑事は、三人とも、腰を浮かせかけた。
喫茶店での尋問は、それから、一時間近くにわたってつづけられた。