山間を抜けて、広い枯れ田の中を走ってきたL特急は、盆地の駅で浦上を降ろすと、すぐに、次の停車駅であり終着駅である大曲へ向けて、走り去った。
ホームには、普通車を待つ、男女高校生の姿が多かった。
浦上は跨線橋《こせんきよう》を渡った。
改札口前のホームには、二両連結の気動車がとまっている。
浦上は小さい駅を出た。
秋田県には何回か取材に来ているけれど、横手で下車するのは初めてである。
まだ四時前だというのに、東北の空は、たそがれが近いことを感じさせるように重かった。歳末大売り出しの駅前も、人通りはそれほど多くない。
浦上はタクシー乗り場に行った。
「横手北署」
と、言いかけて、
「いえ、バスターミナルの裏手へ行ってくれませんか。松葉という不動産屋があるはずですが」
行き先を訂正すると、
「バスターミナルは、すぐそこです。タクシーに乗ることはありません」
と、タクシー運転手は言い、
「松葉さんなら、平鹿《ひらか》綜合病院の先を右に折れて行くのが、分かりいいですよ」
道順を教えてくれた。土地の運転手は親切だった。
浦上は言われたとおりに歩いて、『松葉不動産』へ向かった。
駅前広場を半周して行くと、『よこてプラザホテル』があった。本島高義が、白井保雄との面会場所として、�電話の女�に指定されたというホテルだ。
確かに、一階がレストランだった。大きい窓ガラス越しに、道路から内部《なか》が見える。
レストランは空《す》いている。
浦上は一べつして、人通りの少ない舗道《ほどう》を横切った。
『松葉不動産』は小さい店だった。
べたべたと物件広告が張り出されているガラス戸を開けると、古い応接セットがあり、その向こうに、机が一つだけ置かれてあった。
「いらっしゃい」
机から腰を上げた主人は、五十近いだろうか。小太りで、酒やけした顔だった。
浦上は『週刊広場』特派記者の名刺を手渡した。
「ま、どうぞ」
主人は目をぱちぱちさせながら、ソファを勧めた。
「どうも、寝覚めが悪い事件が起こったものです」
不動産屋の主人は、浦上の取材目的を知ると、吐息して、吸いかけのたばこを消した。
浦上にしてみれば、「千葉」と名乗った白井の、入居のいきさつから聞くのが順序だった。
入居契約を交わしたのが、いつか、それを確かめることで、逃亡の計画性が、どのていどのものであったかが分かる。
一億四千万円を横領する前に、潜伏先を確保する。それは間違いないところだろう。
問題は、その日日《ひにち》だ。
「アパートを借りたいとお申し越しがあったのは、十一月十九日、日曜日の夜でした」
「そうじゃないんですよ。アパートを借りるからには、当然、下見をしているわけでしょう。それが、いつであったか、ということですが」
「下見はしていません」
「彼は、ぶっつけで、アパートを借りたいと言ってきたのですか」
「店頭の物件広告を見たというのですよ」
主人は入口のガラス戸に目を向けた。
浦上も、いったん背後を振り返ってから、質問を重ねる。
「すると彼は、この張り紙広告を見て、お店に入ってきたわけですね。それからご主人が、アパートへ案内されたのですか」
「いいえ、私は案内していません。案内しようもありません。申し込みは、電話でしたから」
「電話? 一本の電話だけで、契約したのですか」
「刑事さんにも言いましたが、長いこと入居者がいなかった老朽アパートですので、借り手がついただけで御の字です。詳しい身元も確かめずに、オーケーしました」
「一ヵ月契約というのも、電話で言ってきたのですか」
「それは十一月二十一日に、直接お見えになったとき、口頭で約束しました」
それにしても、物件を確かめず、広告だけで申し込んでくる客がいるだろうか。
こんな例は初めてだ、と、不動産屋の主人もこたえた。
「店頭広告を見て、彼が一人で藤森アパートへ下見に行ったのでしょうか」
「そんなことはありません。そこをご覧になれば分かりますが、間取りと家賃と、駅から徒歩十五分ということは、書いてあるものの、広告にアパート名とか詳しい所在地は記入してありません」
客が勝手に物件を見に行くのは無理だ、と、不動産屋の主人は言った。
では、人の出入りが目立たず、死体が何日も発見されない、恰好《かつこう》な殺人《ころし》の部屋を白井が選んだのは、偶然なのか。
そんなことはあるまい。
偶然でないならば、動いているのは、影の犯人の意思ということになろう。白井はあの貸家式アパートを選ばされたのだ。
浦上は、自分の中の推理を、口に出した。
「彼自身は案内してもらっていないとしても、藤森アパートを見に行った男が、他にいるのではありませんか」
「十月中頃でしたか、アパートを借りたいと問い合わせてきた人がいます」
「やはり、そうでしたか」
浦上が身を乗り出すと、
「ええと、前郷《まえごう》のアパートなど、三、四ヵ所案内しました」
その中に『藤森アパート』があった、と、主人は思い出したように、つづけた。
「結局、話はまとまりませんでした。でも、その下見をしたのは、男性ではありませんよ」
「男でなければ、女ですか」
「湯沢の人だと言ってました。都会ふうなきれいな女性でした」
「それだな」
浦上はつぶやきをかみ殺していた。
浦上は�電話の女�の実在を、山岡部長刑事たちとは別の形で、聞き込んだことになる。三十過ぎで、ほっそりした美人ということも、町田市のレストラン『ニューバレル』で白井と食事をしていた相手に共通している。
「この辺りでは珍らしい、ベレー帽をかぶっていましたね」
主人は、浦上の質問にこたえて、言った。「都会ふう」と感じたのは、ベレー帽のせいでもあるらしい。
女はサングラスをかけていたというが、それは顔を隠すためのものであっただろう。
「その人を見れば、いまでも分かりますか」
「あんな美人は、ちょっとやそこらでは、忘れませんや」
下見だけで終わったので、不動産屋は、女が口にした湯沢の住所も、氏名も、控えなかったという。
浦上は『藤森アパート』への道順を聞いて、小さい不動産屋を出た。