新潟へ行くには羽越本線を利用するわけだから、今夜のうちに、秋田市へ出ておいたほうがいい。
しかし、次の秋田行きは、十七時三十八分発の普通列車まで待たなければならなかった。
ともかく、列車の本数が少ないのである。列車を待つうちに、十二月の盆地は、とっぷり暮れてきた。
そして、宵闇《よいやみ》の彼方《かなた》から、ゆっくり、列車の明かりが近付いてきた。
普通列車で、横手—秋田間は、およそ一時間三十分。
院内《いんない》始発の普通列車は空《す》いていた。
見知らぬ人たちと乗り合わせ、夜の底へ向かって突き進むローカル線は、嫌でも旅情をかき立ててくる。
浦上は、しばし、事件のことは忘れた。
列車は何も見えない夜の中を走りつづけ、やがて前方に、町の灯が広がってきた。県都、人口三十万の秋田である。
秋田駅のホームを上がって、跨線橋《こせんきよう》を歩いて行くと、そのまま、ステーションデパートの二階に通じていた。
浦上はできるだけ秋田駅に近いホテルを探し、予約を済ますと、東京の『週刊広場』編集部へ報告電話を入れ、夕食は、ホテルへチェックインする前に、外でとることにした。
駅前の信号を横断し、イトーヨーカ堂に近い中央通りの、郷土料理の店を浦上は選んだ。
黒光りのする板の間に円座《えんざ》が置いてある、大きい酒場だった。
浦上はほとんど満席のテーブルを縫って、奥の、テレビの近くに陣取った。
さすがに疲れていた。早起きして谷田に会い、そのまま上野へ直行。列車に揺られて、東北へやってきたのである。
浦上は、きりたんぽ鍋を注文し、地酒を頼んだ。地酒は、秋田|生※[#「酉」+「元」]《きもと》というのが出た。
こくのある酒だった。浦上はぼんやりテレビを見ながら、手酌を重ねた。
鍋を追加し、酔いが回ってくる頃、テレビはニュースの時間になった。
ニュースは、やがてローカル放送に移った。交通事故の報道に引っ掛けて、日本国内で成人一人当たりの飲酒量がもっとも多いのは秋田であり、秋田は酔っ払い運転も多い、というようなことを伝えていた。