師走の空は、前日同様、関東も関西もよく晴れていた。
浦上伸介を乗せた�ひかり201号�は、予定どおり、十三時四十八分に、京都駅に着いた。十二日前、谷田実憲夫婦が乗ってきたのと同じ新幹線だ。浦上は、もちろん、意識的に同じ列車を選んだのである。
浦上は、西跨線橋を歩いて、烏丸中央の改札口を出ると、十二日前の谷田や郁恵と同じように、観光案内所で二、三分を費やしてから、駅前のタクシー乗り場へ行った。
十四時一分だった。
浦上には、しかし、タクシー待ちの行列に並ぶ前に片付けておく仕事があった。
京都中央郵便局は、タクシー乗り場から徒歩にして、一、二分の場所である。
浦上は駅前広場を横切って、中央郵便局の集配課へ寄った。
これは、いわば念押しの取材だった。浦上は、若い局員に、白井保雄の絵はがきを提示した。
「消し印ですか。はい、本局のものに間違いありません」
局員は、問題の絵はがきが、先月二十五日の十二時から十八時の間に取集されたものであることを、はっきりと確認した。消し印に、工作はなかったわけである。
浦上はタクシー乗り場へ戻った。
初老の誘導員がいる。
十二日前を尋ねると、
「そうそう、そんなことがありました」
誘導員はうなずき、
「髪の長い、きれいな女の人でしたよ」
と、言った。
浦上はタクシーに乗り、
「三千院」
行き先を告げた。
冬の古都は久し振りである。
タクシーは河原町《かわらまち》通りから今出川《いまでがわ》通りへ抜け、高野川《たかのがわ》沿いの川端通りを、洛北へ向かって走った。
北へ進むにつれて、風景が寂しくなる。
大原は、高野川の上流に沿った、京の山里である。比叡《ひえい》の山脈《やまなみ》を挟んで、琵琶湖《びわこ》の西側に当たる地形だった。
国道367号線は、高野川の清流と何回も交差して、山間へ入って行く。故意か偶然か、京都も横手と同じ盆地だ。
花尻《はなじり》の森が近付くと山裾《すそ》にわら葺《ぶ》き屋根の農家が点在し、冬枯れの畑地がつづく。
「あれは赤じその畑です」
運転手が説明してくれた。
なるほど、しばらく進むと、赤じそを原料とする『土井志ば漬』の本店があった。白い土蔵造りの工場の前に、大きい漬け物樽がずらりと並んでいる。
そして、花尻橋を渡り、テニスクラブの横を過ぎると、山里にひっそりとたたずむ、数々の寺院が見えてくる。
タクシーは右に折れた。
三千院参道脇の駐車場に入ると、急に、人影が増えた。
師走のウィークデーだというのに、杉木立ちの下に何台もの観光バスと観光タクシーが駐車しており、石柱や灯籠《とうろう》が立ち並ぶ参道を、観光客が歩いている。
人足《ひとあし》は多いが、他の観光地と違って騒がしくないのは、山間の静謐《せいひつ》な雰囲気に同化してしまったせいでもあろうか。
浦上は、タクシーに待っていてもらって、坂道を上がった。
三千院は、まるで武家屋敷のように、石垣をめぐらしていた。
三千院の石段と石垣を見上げる場所に、何軒もの土産《みやげ》物《もの》店が並んでいる。
浦上は観光客に交ざって『水車茶屋』、『芹生《せりお》茶屋』などの看板を見て歩いた。
目的の『高天《たかま》茶屋』は、呂《ろ》川のほとりだった。
軒先の縁台で、数人の観光客が串団子を食べている。
浦上はショルダーバッグの中から、白井保雄と篠田美穂子の複写写真を取り出して、『高天茶屋』に入った。
店内はそれほど込んでいなかった。長テーブルが並ぶ三和土《たたき》の右手が、帳場だった。
中年の女主人が、伝票を整理している。
「ちょっとお尋ねします」
浦上は丁重に頭を下げて、レジの前に立った。
「先月の二十四日か、二十五日のことですが」
浦上は白井の顔写真を、女主人に見せた。
「さあ」
女主人は首をひねり、奥にいる二人の女子従業員を呼んだ。
二人の反応も、女主人と同じだった。
「覚えていませんわ」
若い女店員は、口をそろえて言った。
「十一月中旬から下旬にかけては、紅葉見物のお客さんが多かったので、お店も込んでいました」
「では、この人はどうでしょう」
浦上は美穂子の写真を示した。
白井は、特に目立たない、平凡なサラリーマンタイプだが、美穂子は相当な美人だ。同性だけに、若い女店員たちは、かえって意識したかもしれない。
「カーキ色のジャケットで、黒革のミニスカートだったと思うのですが」
浦上は、谷田から聞いている美穂子の当日の服装を言った。
二人の女店員は、交互に写真をのぞき込み、女主人にも見せた。
「覚えていませんわ」
三人は異口同音にこたえた。
記憶にないというのは、肯定でもなければ、否定でもないということである。
しかし、三千院での手がかりがないのでは、白井の追跡は、いったんあきらめざるを得まい。
次は、『京都東急ホテル』だ。十一月二十五日から二十六日にかけて、夜、美穂子が実際に宿泊していたか、どうかのチェック。
これも難しそうだ。宿泊客がルームキーを返さずに外出してしまえば、在室の有無は、正確には、分からない。
せめて、�脱出�の可能性さえつかめれば、よしとすべきだろう。
これが、夜ふけにルームサービスを頼んでいたなんて�存在証明�が出てきたりしたら、推理は根底から覆されてしまう。
浦上が、いま、この場で、瞬間的にそうしたことを考えたのも、京都取材の出端《でばな》を挫《くじ》かれたためである。
「お忙しいところを、ありがとうございました」
浦上は二枚の写真をショルダーバッグにしまい、白井の絵はがきを出した。
「この記念スタンプは、おたくのものですよね」
と、左下を指差した。
大原女《おはらめ》の後ろ姿が図案化され、下に、小さく、『高天茶屋』と記されている。
「はい。そうですわ」
若い二人は、今度ははっきりとうなずき、
「記念スタンプは、どなたでも自由に押せるよう、いつも、そこに置いてあります」
と、これは女主人が言い、軒先の小さい机に目を向けた。
客が勝手に押していくのだから、店が込んでいたりすれば、なおのこと、店員たちの記憶には残らない。
そのときだった。
「あら?」
女店員の肩越しに、絵はがきを見た女主人が、
「お客さん」
ふいに口調を変えた。
「この絵はがき、いつ受け取ったのですか」
「どこかおかしい点がありますか」
浦上も、思わず知らず、気負い込んだ。
「これは、確かに当店《うち》のスタンプですが、いまは使っていません」
女主人は言った。
「このスタンプ、大原女が、後ろ姿でしょう」
後ろ姿は昨年までで、今年の一月からは、ほとんど同じ図柄だが、前向きのものに代わっているという。
「失礼」
浦上は軒先まで行って、取材帳に記念スタンプを押した。
確かに、絵柄は同じだが、大原女の向きが違う。
浦上は慌てて、レジの前へ戻った。
「古い記念スタンプは、どうしたのですか。新しいものに代えてからも、一緒に使っているのではありませんか」
「いいえ」
女主人は顔を振った。
「いまも言いましたように、一月からは新しいスタンプしか置いていません」
去年までの古いものは、磨り減ってもいたので、焼き捨てた、と、女主人ははっきりと言った。
では、これはどういうことなのか。白井は、どこでこのスタンプを押したのか。