横浜も、まだ暗い。
「あなた、北上にいる浦上さんからよ。どうしたのかしら。いつもの浦上さんでないみたいにかっかしているわ」
電話を受けた郁恵は、緊張した声で谷田を呼びにきた。
谷田は寝床から這《は》い出し、パジャマ姿のまま受話器をとった。
「先輩、�銀河�に始まって銀河に終わったようです」
いきなり飛び込んできた声が、それだった。前置きなしにそう言われても、何が何だか分からない。
「おい、美穂子が、もう一度�銀河�に乗ったってわけじゃないだろうな」
「もちろん、違います。こっちは、銀河鉄道です」
「朝っぱらから人を叩き起こして、何を言ってるんだ」
「先輩、銀河鉄道の夜は読んでいますよね」
「銀河を旅する少年の話か。宮沢賢治《みやざわけんじ》だろ。賢治がどうした?」
「賢治は岩手《いわて》県|花巻《はなまき》の出身です」
「何を言ってるんだ。きみは殺人《ころし》ではなく、童話の取材にでも行ったのか」
「花巻は北上に隣接しています。それを盲点と言えるなら、花巻が、北上より北に位置していることが、盲点でした」
「何を言いたいんだ」
「ぼくはいま北上駅前からかけているのですが、ここからバスが出ています。岩手県交通の石鳥谷《いしどりや》線です」
「そのバスが、賢治の詩碑か記念館にでも通じているのか」
「これは、北上駅を出発すると、花巻駅、花巻空港を経て、終点の石鳥谷上町に至る路線バスです」
「花巻空港だと?」
「東北新幹線の開通で、東京空港行きは廃止となりましたが、昔は、一日に一、二本花巻から東京直行便が出ていたそうです」
「盲点は、そのローカル空港か」
「これが、北上より西にあれば、文句なく、チェック対象になっていたでしょう」
「弁解は後だ。で、使えるのか」
「出発便は、一日に五本という小さい空港です。いずれも�JAS�で、札幌行きが二本、名古屋行きが一本」
そして、大阪行きが二便、と、つづける浦上の声が、複雑な高まりを見せている。
「北上から花巻へ行くには、このバスもあるし、新幹線も利用できます。しかし、横手での犯行後、北上線の上り快速�きたかみ�で引き返してくると、在来線接続がもっとも速いルートになります」
浦上は、そうした説明の仕方で、京都への交通《あし》が、完璧に割れたことを伝えてきた。
横手発 八時五十六分 北上線上り快速�きたかみ�
北上着 十時二十一分
北上発 十時三十七分 東北本線下り普通
花巻着 十時四十九分
(タクシー=十分前後)
花巻空港発 十一時二十五分 �JAS632便�
大阪空港着 十三時
(タクシー=五十分前後)
京都駅着 十四時頃
「美穂子が、考案実行したアリバイ工作が、それかね」
「今度こそ、間違いないでしょう。花巻空港発十一時二十五分の�JAS632便�は、必ず、偽名の女性客を乗せていたはずです」
新幹線のダイヤに合わせれば、新大阪—京都間は�ひかり�利用で、京都到着時間に余裕を持たせることが可能かもしれない、と、浦上は順序を立てて伝えてきたが、口調が、やはり、どこか不安定だった。�銀河鉄道の空港�を、机上チェックで見落としたことが、何ともいたたまれないのである。
「おい、気にすることはないぞ。スクープが一日延びただけだ」
谷田は浦上を励まして、朝の長電話を終えた。