大きい紙袋こそないが、焦げ茶色のショルダーバッグが、隣の座席に置かれてあった。
『週刊広場』特派記者の名刺を持つ、浦上伸介三十二歳である。
浦上は、昨日の夕方、松山港近くで発生した殺人事件を、承知していなかった。松山南署の正式記者発表が今朝になってからなので、各紙とも、朝刊に間に合うわけがない。
もちろん浦上は、重要参考人として、自分の名前が上がっていることなど、夢にも考えはしない。
浦上は松平十五万石の城下町松山の取材を終え、次の城下町、伊達家十万石の宇和島へ行くために、松山始発十六時二十二分の、急行に乗ったのだ。
�うわじま5号�は、内子《うちこ》、伊予大洲《いよおおず》、八幡浜《やわたはま》と過ぎて、卯之町《うのまち》を発車したところだ。列車は、みかん畑越しに、リアス式湾入の宇和海を、右下に見て走っている。八幡浜からは、ずっと急勾配がつづいている。
あと、三十分足らずで、終着駅宇和島となる。
松山—宇和島間を二時間七分で結ぶ�うわじま5号�は、急行とはいえ、わずか三両連結の気動車に過ぎない。だが、それが、かえって素朴な旅情を運んでくるのか、浦上はいつになく、風景に浸《ひた》る余裕を持った。
心にゆとりがあるのは、取材の内容と日程が、いつもと違っていたせいもあるだろう。
浦上は、夕刊紙の社会部記者を経て、フリーのルポライターとなった男だ。仕事の大半は、事件物だ。
取材先も、警察と犯行現場が主体であり、加害者と被害者の周辺を掘り下げるといった作業がつづく。
どこへ行っても、取材拒否に遇《あ》うことのほうが多かった。すんなりとコメントが取れるのは珍しい。
そうした苦労に比べれば、今回の取材は楽なものだ。スケジュールも、ゆったりしている。
「ほう、きみがねえ。きみが、トラベルガイドみたいな取材をするのか」
と、真顔で笑ったのは、都内の私大に通っていた頃からの親しい先輩、谷田実憲だ。
「アリバイ崩しを得意とするきみに、レジャー欄の取材を命じるとは、週刊広場ってのは、確かにユニークな雑誌だ」
谷田は、浦上とは逆に、明るい性格の男だった。
谷田は浦上より三つ年上の三十五歳。浦上と違って大柄で、声も大きい。
すべての面で対照的な先輩と後輩であったが、共通点は、二人とも酒が強く、無類の将棋好きであることだった。お互い、町のクラブでは四段で指す棋力だから、アマとしては強いほうだ。
浦上と谷田の生活にとって、毎夜のアルコールが欠かせないように、将棋もまた切り離すことができない。
「バカンス追跡なんかの、城下町の取材じゃ、今回、間違っても、オレにお呼びはかからないね」
と、谷田は繰り返した。
旅立ち前夜の一昨日。横浜・菊名《きくな》の住宅団地に住む谷田の自宅で、谷田の妻の手料理で一杯やりながら、五寸盤を囲んでいたときの会話である。
谷田は神奈川県警記者クラブで、『毎朝日報』のキャップをしているのだから、横浜絡みの事件ともなれば、浦上にとって、何とも頼もしい助っ人となる。
だが、今度の仕事ばかりは、どう転んでも、谷田には関係がない。
(先輩には、四国の地酒でも買って帰るかな)
浦上は車窓でそんなつぶやきを漏らし、突き出た半島とか、いくつもの小島を浮かべる宇和海を見詰めつづける。
見飽きない眺めだった。
いつの間にか、夏の日は西に傾いている。いや、夏というよりも秋を感じさせる海だった。
夕景の美しさに、こんなふうにして接するのは、何年ぶりだろうか。
これも、余裕のある旅程のお陰だ。
静かな海を遠望しながら、鉄路のほうは、急勾配で峠を越える難コースがつづいている。
速度も落ちたままだ。
そして、法華津《ほけづ》トンネルを抜けると、単線鉄道の急勾配は下りに変わる。短いトンネルがいくつもあり、トンネルとトンネルの間に、半島の入り組む海があった。
ぐんぐん下って行くと、宇和島湾の漁港が見えてくる。漁港は入江にできているので、車窓から見下ろすと、大きい川のようだった。夕日に映える漁港には、小さい漁船がずらっと繋留《けいりゆう》されているが、人影は少ない。
間もなく、瓦屋根の密集する家並が、目の前に迫ってきた。古い瓦屋根は目地の白いしっくいに特徴があり、そこにも夕日が当たっている。
三両連結の気動急行は、予定どおり、十八時二十九分、宇和島駅1番線ホームに到着した。
ホームは行き止まりだった。いかにも終着駅という感じである。終着駅は、四角い感じの白い二階建てだった。
駅舎の正面屋上に、駅名よりも大きい『田中のかまぼこ』の看板が立っている。
そして、タクシー駐車場の近くに一本、高い棕櫚《しゆろ》の木があった。
静かな駅前広場である。ベンチで話し合う男女高校生がいた。
浦上はタクシーに乗った。
駅前の大通りが、まっすぐ、新内《しんうち》港の盛運桟橋《せいうんさんばし》へつづいており、広い通りの両側が、食堂などの並ぶ商店街になっている。
人口七万の城下町は、三方を高い山に囲まれていた。
東南には鬼《おに》ケ城《じよう》山を主峰とする山並が連なり、宇和島街道がある北側は、いま、浦上が気動車で経験したように、九十九《つづら》折の峠道がつづく。
リアス式の宇和島湾が開けているのは、西側だけだ。島の多い海だった。
浦上は、タクシーで新内港などを一周してもらってから、ホテルへ入った。寄り道をしても、二十分とかからなかった。
市の中心部で、濃い緑の目立っているのが城山である。浦上が東京から予約した『ニュー宇和島ホテル』は、宇和島城東側の繁華街にあり、斜め前がバスセンターだった。
(夕食は外でとろう)
浦上はタクシーを降りるときに思った。外で食事をするというのは、そのまま、取材につながる。
宇和島を終えると、明日は予土《よど》線で高知へ向かうわけだ。
予土線は、全線の半分ほどが、四万十川《しまんとがわ》の渓流を縫って走っている。
四万十川は、日本に残された最後の清流と言われている。
険しい山間の鉄路を、岩が多い渓流に沿って進むコースは、風光明媚《ふうこうめいび》なんてものではないだろう。
浦上は以前からこのローカル線にあこがれていたけれど、訪れるチャンスがなかった。得手でもない今度の取材を引き受けたのも、季節によってはトロッコ列車が運行されるという、予土線への夢が広がっていたためだ。
しかし、予土線は本数も少ないし、急行がないので時間もかかる。
宇和島始発の予土線の終点が窪川《くぼかわ》。窪川から土讃《どさん》本線に乗り換えて、高知へ出るのだが、明るいうちに四万十川沿いの風景を満喫し、夕食時までに高知市内のホテルにチェックインするには、宇和島を、十三時三十六分に出発しなければならない。
明日の持ち時間が半日あまりしかないとすれば、夕食を兼ねて、今夜のうちから取材を開始するのは当然だろう。
宇和島城主と言えば、仙台の伊達政宗《だてまさむね》の血を引くわけである。そして、闘牛。
(さて、どんな若者がいるのかな)
浦上はショルダーバッグを持ち直して、ホテルのドアを押した。
松山のシティーホテルと違って、こちらはビジネスホテルふうだった。小さいフロントには、女性従業員が一人いるだけだ。
浦上はひっそりしたホテルのフロントに立った。
そこに異変があった。
今回は一切無関係なはずの、先輩の谷田を、嫌でも頼りとしなければならない相手が、『ニュー宇和島ホテル』で、浦上を待っていたのである。
チェックインする浦上を見て、フロント前のベンチから腰を上げる二人の男がいた。
年かさのほうは、ごっつい顔をしている。松山南署の、矢島部長刑事だった。
「週刊広場の浦上伸介さんですな」
矢島部長刑事は、浦上の身元を確かめてから黒い警察手帳を示して、自分を名乗った。
「殺人《ころし》の捜査本部?」
浦上は、思わず、先方の二人を見比べていた。
刑事に張り込まれたなんて初めての経験である。