一刻も早く、淡路警部にお礼の電話をかけ、そして『週刊広場』へ、異常事態の報告をしなければならない。
浦上はホテルの狭いロビーを通った。
フロントに立って、キーを求めると、
「あ、ちょうどいま、お電話が入っています」
と、女性の従業員が言った。
電話は横浜からだった。宇和島西署へかけ、浦上がホテルへ引き返したと知ってかけ直してきたのは、親しい先輩、谷田実憲だった。
受話器を取ると、
「おい、何が起こった?」
いきなり、持ち前の大きい声が飛び込んできた。
記者クラブを、そろそろ引き上げようとしているところへ、淡路警部からの連絡が入ったのだという。
「留置されかけたとは、穏《おだ》やかじゃない」
「淡路警部のお陰で、助かりましたよ」
「昨夕のレンタカーの殺人《ころし》は、警部から聞いた。被害者《がいしや》が横浜のマンションに住んでいたとあっては、オレも指をくわえているわけにはいかない」
「警部にお礼を言わなければなりません。警部、今夜はまだ本部にいるそうですね」
「会議は長引くらしい。電話は、明朝のほうがいいんじゃないかな」
と、谷田は言い、淡路警部の伝言を仲介してくれた。
「きみの件で松山南署から電話を受けた淡路警部は、この事件に本腰を入れて取り組むと言ってたぞ。もちろん、オレもそのつもりだ」
谷田の口調はいつものように乱暴だが、言外に、先輩としての思いやりがにじんでいるのを浦上は感じた。
「先輩、ご心配をかけました」
浦上は心からの感謝を述べた。受話器に向かって、思わず頭を下げていたほどである。
そして、明朝、松山南署の捜査本部へ出向くことを伝えると、
「作戦を立てるのは、警察《さつ》の動向を、しっかり把握してからだね」
と、谷田は言い、
「それにしても、序盤の駒組みも何もあったものではないな」
と、二人の共通の趣味である将棋用語を、口にした。
浦上と谷田の間では、何かというと将棋用語の飛び交うことが多い。聞き込みとか取材が順調なときもそうだし、逆に、推理が行き詰まったときもそうだ。
いまの場合は、もちろん、後者ということになる。
「先後《せんご》を決める振り駒もなしで、いつともなく、対局が始まっていたってことだな」
と、谷田はつづけた。
そう、確かに、気がついたら序盤を過ぎて中盤戦に突入という、不可思議な一局を戦わされていたわけである。
だが、嫌でも盤に向かわされてしまった以上、見えない罠を仕掛けてきた相手を、投了に追い込まなければならない。
「ベールの向こう側で息を潜めているそいつは、一体だれなんだろう」
「何の目的かは分かりませんが、物証として王将駒まで用意してあるとは、ぼくの一面を、少しは知っている人間でしょうね」
「少しなんてものではないかもしれないぞ。ともかく明日、オレはできるだけ早く、記者クラブへ出ている。連絡を待ってるぞ」
谷田はそう言って、電話を切った。