みかんの段々畑が、暗い影となって、夜の底に沈んでいる。切り立った、崖のような段々畑もあった。
宇和島発二十時三十一分、松山着二十二時三十八分の�うわじま8号�。
まだ午後九時前なのであるが、峠を越えて行く沿線は、夜の底という形容がぴったりだ。人家の灯はすぐ遠くなり、ただ、影のような段々畑だけがつづく。
「主任、疲れたでしょう」
若い刑事が、空いた車内で話しかけると、
「確かに、こういう訳の分からない事件《やま》は、しんどいね」
ベテランはごっつい顔に苦笑いを浮かべ、
「しかし、千舟町のスーパーでベルトを買った男が、別人と判明しても、それだけで、浦上なるルポライターの容疑が、きれいに晴れるってものではない」
と、話を戻した。
「凶器を準備した男と、殺人《ころし》を実行した男が別人というケースは、これまでにもなかったわけじゃないぞ」
矢島は自分に言い聞かせるような口調になり、
「あの美人のホトケさんと、浦上という男の間に、本当に接点はないのかね」
と、つぶやいていた。
それは、ベテランが、本能的に抱く疑問だった。
接点が水面下のものであるなら、当の浦上伸介自身が、それと気付かないままに、殺された高橋美津枝に関連してくるということもあるだろう。
「そうですね。それも考えられますね」
若い刑事も同意した。
そうした疑問に、あるいは解決の糸口を与えるかもしれない報告が、松山南署の捜査本部に入ったのは、急行�うわじま8号�が、最初の停車駅|伊予吉田《いよよしだ》に到着する頃だった。