浦上は次の上り、岡山行きのL特急発車まで三十分あるのを確かめ、一息入れることにした。
浦上はスタンドでアメリカンコーヒーを求め、その紙コップ持参で、待合室右手の電話コーナーへ行った。
電話は、すぐに横浜へつながった。
谷田実憲は、昨夜の宣言どおり、すでに、県警記者クラブに出ていた。
「さっき捜査一課へ行って、淡路警部に改めて、礼を言っといたよ」
先輩は後輩を思いやり、
「警部へのあいさつは、こっちへ戻ってからでもいいだろう」
とも言い添えてくれた。
「で、いつ帰ってくるんだ」
「ええ、これ以上、松山に逗留《とうりゆう》する意味はなさそうです」
浦上は松山南署でのやりとりを報告し、刑事課長や、矢島部長刑事から得た感触を言った。
取材先は、短期間とはいえ、被害者高橋美津枝が暮らしていた横浜。そして、浦上自身の生活圏であり、美津枝の勤務先があった東京から着手することになろう。
真犯人《ほんぼし》は東京周辺に潜んでいる。それが、矢島部長刑事たちと話し合っているときに得た浦上の直観だった。
「そうだねえ」
谷田も同意した。
「旅行者のきみを犯人に仕立てようとしたり、レンタカーを借りているところから見ても、松山は、単に、犯行現場に過ぎない感じだね」
「十一時三十分発の、岡山《おかやま》行きのL特急�しおかぜ10号�というのがあります。これを利用すれば、岡山から新幹線に乗り換えて、午後七時前に新横浜《しんよこはま》へ着くはずです」
「じゃ、今夜は横浜で一杯やれるな。淡路警部にも連絡をつけておこうか」
谷田はそう言いかけて、
「いや、せっかく四国にいるのなら、土佐山田へ寄ってくるべきだね」
と、口調を改めた。
谷田の指摘は、殺された美津枝の、生家取材だった。
「オレは、オレなりに整理してみたのだが、これは両面作戦でいくしかあるまい」
と、谷田は言った。
「無論、一つはきみの周辺だ。いわば浦上サイドの人間で、だれなら、この罠を仕掛けられるか、ということだな」
「何度も言いますが、それがさっぱり見当つかないのですよ」
「いずれにしても、犯人《ほし》がきみの周囲にいる人間であることは間違いない」
「いまも松山南署で話し合ったのですが、ぼく、これほどのことをされる怨恨の線は、どうしても思い浮かんできません」
「トリックが何であるのか知らんが、きみの指紋を入手して、殺人現場へ残してきた男だぞ。犯行時、きみとそっくりな、茶のブルゾンを着ていたというのも、気に入らないね」
「犯人《ほし》は、それだけぼくを観察していたってことですか」
「ともかく、きみの取材スケジュールを正確に把握しているのだから、犯人《ほし》は、それほど隔たった場所にいる人間じゃない」
「そう言われてもですね」
浦上は紙コップのコーヒーを飲んだ。
一瞬の沈黙の後で、谷田がつづけた。
「両面作戦のもう一方は、当然ながら、被害者《がいしや》の追及だ。高橋美津枝という美女を絞り込んで、殺されるような何があったのか、彼女の生活を、徹底的に洗い出すんだな」
「彼女の実家は、龍河洞で、みやげもの屋を兼ねた食堂を開いています」
浦上はコーヒーを飲み干すと、取材帳の走り書きを確認して言った。
都会暮らしが長かった女性であるなら、生まれ故郷は、今回の事件でそれほどの重さを持っていないかもしれない。
男が絡んでいるのは、明白だ。事件の発端は、美津枝の都会生活の中にあると見るのが、常識だろう。
しかし、生家を訪ねれば、何かのヒントは得られるかもしれない。
確かに、谷田が言うように、「せっかく四国にいる」のだから、素通りという手はなさそうだ。
それに、浦上の立場は、刑事とは違うのである。刑事の最終目的は犯人検挙だが、浦上はルポライターだ。浦上は、「夜の事件レポート」をまとめなければならない。
原稿にふくらみを持たせるためにも、家族に会うのは意味のないことではないだろう。
「そうですね。では、帰路を変更して、土讃本線に乗ってきます」
と、浦上がうなずくと、
「土讃本線は、吉野川《よしのがわ》上流の、名勝を通るのだろ。オレも行ってみたいよ」
谷田は、例によって羨《うらやま》しそうな声を出したが、すぐに言い直した。
「だが、今回のきみは、いつもとは立場が違うな。のんびり景観に浸っているわけにもいかないか」
「そうです。何せぼくは、殺人《ころし》の容疑者ですからね」
浦上は冗談ともつかずに言って、電話を切った。