と、疑問を挟んだのは、細波編集長だった。編集長は、一通り浦上の説明を聞いたあとで、言った。
「だってそうだろ。石田旅行社に関係ある男なら、電話を受けた社員が、何か気付いて然《しか》るべきではないか」
「そうですね、あの主任格の社員は、電話をかけてきた男の声に聞き覚えはないと言っていました」
浦上が首をひねると、
「しかし、青木副編集長に探りを入れろとは、いかにも谷田さんらしいね」
細波はそう言って、愛用のパイプたばこに火をつけた。
「このぼくが、最初に疑われたか」
当の青木は、ただ苦笑するだけだった。
編集長の机は三階大部屋奥の窓際にあり、机の横に、小さい応接セットがあった。細波と青木は、ソファに並んで腰を下ろして、浦上の報告を聞いた。
「石田旅行社への問い合わせ電話が表面化したのだから、いまさら断わるまでもないけれど」
と、青木が、苦笑を浮かべたままつづけた。
「ぼくは、浦上ちゃんのスケジュールをだれかに漏らしたこともなければ、手帳を盗み見られたこともない、と断言しておきます。もちろん、犯人に手を貸してなどいない。毎朝の谷田さんに、よく言っておいて欲しいね」
「ま、その話は、そのくらいでいいだろう」
細波は、問題を前へ進めた。
「Xは、どうやら我社《うち》の編集部へ出入りしている人間ではなさそうだ。これは、浦上ちゃんの考えどおりだと思うね」
「で、旅行社サイドでもないとすると」
「それだよ。Xは、どこで、週刊広場と石田旅行社のつながりを知ったんだ?」
細波はパイプをテーブルに置いた。
Xは、『週刊広場』が『石田旅行社』へクーポン券などを発注していることを、偶然どこかで耳にしたのだろうか。もちろん、その可能性もあるだろうが、
「しかし、極めて計画的な罠の仕掛け方から推し量るに、偶然を出発点とするような犯人とは考えられないねえ」
と、細波は長い脚を組んだ。
「偶然でないとすると、その辺りを衝くことで、Xに近付く道が拓《ひら》けてくるか」
と、青木がつぶやき、
「それはそうでしょうが、どうやって、その辺りを追及するのですか」
浦上は二人の顔を見た。編集長も副編集長も長身なので、中背の浦上は、ソファで二人に挟まれた格好になっている。
しばらく短い沈黙があり、沈黙を破って、青木が顔を上げた。
「一番単純な方法は、Xが我社《うち》の編集部へ問い合わせてくることですね」
「だが、それこそ怪しまれるんじゃないか」
細波は乗ってこなかったが、青木は立ち上がっていた。
「そのままで、ちょっと聞いてもらいたい」
青木は声を大きくして、編集室にいる全員に話しかけた。
編集室には、浦上のような契約ライターも含めて、十人余りが居合わせた。
その中から、すぐに反応があった。名乗り出たのは、編集室の受付係も兼ねる、編集総務の女子社員だった。
女子社員は、窓際のソファまでやってきて、
「問い合わせの電話を受けたことがあります」
と、全国主要都市に支店を置く、大手旅行社の名前を出した。電話は、その旅行社の有楽町支店と言ってかかってきた。丁寧な口調の男性だったという。
「週刊広場の取引先を教えろ、と言ってきたのかい」
「違います。最初は、セールスの電話でした」
「売り込みか。で、責任者を出せとは言わなかったのかね」
「それは言いませんでした」
有楽町支店を名乗る男は、取材記者が出張する場合、列車とか飛行機、ホテルなどの予約は旅行社を通しているのか、と質問してきたのだった。
緊急の出張でないときは、必ず代理店に頼んでいる、と、女子社員が事実をそのままこたえると、
「いかがなものでしょう、その発注を、手前どもに回していただけないでしょうか」
と、先方は言った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
青木が口を挟んだ。
「男は、責任者に電話を回してくれとも言わず、きみに売り込んできたのかい」
「そうです」
女子社員はうなずいた。
不自然ではないか。そんなことが、受付係の一存にいかないことは自明の理だ。
実際、女子社員は、
「何でしたら副編集長に電話をおつなぎしましょうか」
と、こたえている。すると、先方はやや早口になり、
「おたくと取り引きのある旅行社は、どちらですか」
と、尋ねてきたという。
「そこできみは、我社《うち》の発注先が、神保町の石田旅行社であることを、その男にこたえたわけだね」
「はい。いけなかったのでしょうか」
「いや、いいんだよ。で、その電話はいつ頃かかってきたのかね」
「一ヵ月ほど前だったと思います」
「ご苦労さん」
青木は女子社員を引き下がらせ、浦上と細波は、
「タイミングもぴったりだ。その問い合わせの直後に、第一回目の電話が、石田旅行社へ入ったか」
というように顔を見合わせた。
これはもう、男が言っていた有楽町支店へ出向いて確認するまでもあるまい。
有楽町支店に、そんな社員はいないに決まっている。セールスは口実だ。
「もう一つはっきりしましたね」
浦上はキャスターに火をつけ、二人の長身を交互に見て言った。
「どうやらXは、石田旅行社は無論のこと、週刊広場とも距離を置く男のようですね」
「そのXが、何ゆえ、浦上ちゃんをターゲットにしたのだろう? これは、やはり、浦上ちゃんの個人的な問題じゃないのか」
と、青木がつぶやき、
「うん、胸に手を当てて、過去に何があったのか、もう一度、じっくり反省する必要がありそうだね」
細波は意外と真剣な表情で浦上を見た。
浦上にはこたえようがない。口に出すとすれば、
「いくら考えたって、何も思い当たることはありません」
と、繰り返すことになるが、それではこたえにならない。
浦上は黙って、たばこを吹かした。すると紫煙の向こう側に、高知空港で別れた菊池澄子の、つぶらな瞳が見えてきた。
「大阪へ行く前に、蒲田《かまた》の伊東建設を当たってみます」
と、浦上は言った。それが、細波編集長に対するこたえになった。
浦上は大部屋の入口近くにある、ルポライターたちの、共有の机に戻った。