澄子はオレンジジュース、浦上はビールを注文した。
大歩危からUターンしてくるルートがないとしたら、Uターンは、四国山脈を突っ切った先に拓けてくることになるか。
高知経由にルートはない。それが松山南署の結論だった。予土線と松山高知急行線バスは、参考データとして、コピーされているのに過ぎない。
どうひっくりかえしても不可能だという、警察の判断を是認しているようでは、水平思考とは言えない。
ジュースとビールがきた。
浦上はビールを飲みながら、窓ガラス越しに、再度、渓流を見下ろした。
吉野川の流れも、池田から徳島の河口までは自然だ。川沿いの国道192号線も、徳島本線も、池田からスムーズに下って行くのだから。
問題は、ここから見下ろす流れだ。
池田から高知へかけての国道32号線は、ずっと下っているのに、その坂に沿った吉野川は、逆に、池田へ向かって流れている。
(堀井のアリバイトリックも、これだろうか)
もやもやしたものを整理できないまま、そう考えたとき、
「ヘリコプターをチャーターするのは、難しいでしょうか」
澄子がつぶらな瞳を向けてきた。澄子なりに思いをめぐらしたのであろうが、ヘリコプターは買えない。
いかにも、素人ふうな発想だ。見慣れないヘリコプターなど飛んでくれば、人々の注意を引くだろうし、第一、操縦士という�共犯�が必要になってくる。
(だが、待てよ)
浦上はビールのコップを置いた。うん、これが水平思考かもしれない、と、浦上は自分の中でつぶやいていた。
「ヘリコプターですか」
浦上は、川の流れから視線を戻した。
一番速い交通手段は、もちろん空路だ。四国四県は、それぞれが空港を備えている。
しかし、相互を結ぶ航空ダイヤはない。
盲点はこれか。
ダイヤがないというのは、ストレートな接点がないということだ。眼下の�逆行�の流れのように、地図の上では見えないルートが隠されているのか。
高知行き鈍行が阿波川口を発車したとき、堀井が列車に乗っていたのは間違いない。だが、阿波川口以降の堀井は、東京駅到着まで、目撃証人を持たないのである。
何度も検討してきたことだが、その間に何が工作できるのか。
堀井を空港へ連れて行くには、どこが一番近いか。
堀井を乗せた普通列車は高知へ向かって、南下している。消去法から言って、反対方向の高松と徳島は消え、高知空港が浮かび上がってくる。
高知空港へ出て、何ができるのか。ショルダーバッグから時刻表を取り出す、浦上の手が震えてきた。
土讃本線のダイヤをチェックするのは、何度目になるだろう?
高知空港へ行くには、土佐山田駅からタクシーに乗ればいい。龍河洞で初めて会ったとき、澄子はそう言った。
浦上が確認を求めると、
「タクシーで、十五分見れば十分ですわ」
と、澄子はこたえた。澄子は、年に一、二度利用しているという。
すると、次のようになる。
阿波川口発 十三時二十八分 普通
大歩危着 十三時四十八分
(下車しないで直行)
土佐山田着 十五時四分
(タクシー約十五分)
高知空港着 十五時二十分頃
高知との間に定期路線が開設されているのは、五つの空港だ。東京、名古屋、大阪、福岡、宮崎。
松山に近いのは福岡だが、高知からの福岡行きは、八時五十分発と、十八時五十五分発の�JAS�が、二便飛んでいるだけだった。
と、なると、便も多く、四国に近い飛行先は、大阪ということになる。
高知空港発 十五時五十分 �ANK418便�
大阪空港着 十六時四十五分
これなら、無理なく搭乗することができよう。
「いったん四国(高知)を出て、すぐに四国(松山)へ引き返してくるのですか」
澄子は浦上が書き出した数字を見詰め、白い横顔をこわばらせた。こうした作業を見るのは初めてだけに、澄子が緊張するのも当然だろう。
浦上はそうした澄子を無視し、電話をかけるために席を立った。
赤電話は、透明ガラスのドアを出たところにあった。
浦上がかけた先は、松山南署の捜査本部である。確認は、松山空港と殺人現場、そして三津浜港との、時間的な位置関係である。
「空港ですって? 浦上さん何を発見したのですか」
先方は、刑事課長が出た。
「まだ、仮定以前の段階です」
浦上はそう告げて、要点のみを聞き出した。
さすが、お膝元だけに、打てば響くこたえが返ってきた。車を利用しての所要時間は、松山空港から犯行現場まで六、七分。三津浜港から松山空港まで十一、二分。
夕方のあの時間帯でも、そんなものです、と刑事課長は言った。
意外な近さではないか。中心に据えられているのが松山空港ならば、帰京のアシも、空路絡みということになってこよう。
ついでに、美津枝がレンタカーを借りた竹原町の営業所から、空港までの所要時間も質した。これは、空港通りを直進して、十四、五分という返事だった。
浦上は電話を切ったとき、今度こそ最後だと思った。
浦上は澄子が待つテーブルに戻り、時刻表の上に取材帳を広げた。
犯行現場へレンタカーが走ってきたのは、十八時二十六分。逆算すると松山空港が、十八時二十分。
いや、到着ロビーを抜けて、美津枝が待つレンタカーに乗り込むまでの時間を見ると、ぎりぎりでも、十八時十七分頃までには、松山空港へ着陸する便でなければなるまい。
大阪—松山間を飛んでいるのは、�ANA�だけだ。
浦上の指先が、航空ダイヤを追い、澄子が息を詰めて見守る。
しかし、そこにも光はなかった。期待が、重い吐息に変わったのは、瞬時の後である。
「どうなっているのだろう?」
浦上は時刻表を投げ出していた。
大阪空港で、乗り継ぎ可能なのは、最終便だけだったのである。
大阪空港発 十七時四十分 �ANA455便�
松山空港着 十八時二十五分
到着後、凶行までの持ち時間が一分しかないではないか。(その一本前の松山行きは、大阪発が十五時十分だから、堀井はまだ、土佐山田駅から高知空港へ向かうタクシーの中だ)
空港と犯行現場の間が予想外に近かったとはいえ、着陸後、わずか一分で、あの工場裏手のブロック塀まで行けるわけがない。
「どうしようもありませんね」
浦上はまずそうに、ビールを飲んだ。
窓外に見下ろす渓流も、高い山々の大自然の緑も、次第に、浦上から遠くなった。