浦上は�ANA�八月の時刻表をもらうと、澄子を促して、空港ロビー二階のレストランに入った。澄子はレモンティー、浦上は、またビールを注文した。
先日と同じ、壁際の席だった。空港レストランは、客の出入りが多い。
浦上は待ち切れないように、�ANA�の小さい時刻表を開いた。
そして、レモンティーとビールがテーブルに載ったとき、
「喜んでください。大歩危—松山間の時間の壁は、どうやら崩れました」
浦上は、山峡のレストハウスにいたときとは別人のような明るい顔になっていた。
浦上は取材帳の数字を訂正し、澄子が見ている前で、慌ただしく書き込みをした。
大阪空港発 十七時三十分 �ANA455便�
松山空港着 十八時十五分
同じ便だが、夏期ダイヤのほうが九月より十分早く発着するのである。この際の十分は、何物にも代えられないほど貴重だ。
これなら、十八時二十六分までに、殺人現場へ到着することが可能だ。
美津枝が借り出したレンタカーの営業所は竹原町の、空港通りに面している。空港通りを走って、営業所から松山空港まで十四、五分。
ダークブルーのセドリックは、十八時に借り出されているのだから、これまた計算された時間内の行動に違いない。すべて、堀井の指示どおりであっただろう。
「美津枝は、甘い話をちらつかされて、本当に、何も見えなくなっていたのでしょうか」
「一度失いかけた愛を取り戻そうと、そこにだけ、目が向いていたのでしょうね」
「かわいそうに。実際は、最初から愛情でも何でもなかったのに!」
「しかし、もう一つの難関、どうやって、堀井を�ひかり162号�に乗せるかという、問題を解かなければ、全面勝利とはなりません」
浦上はビールに手を伸ばした。澄子も、それを待っていたように、レモンティーに口をつけた。
浦上はビールを飲み、ショルダーバッグから時刻表を取り出そうとして、やめた。鉄道ダイヤは、八月も九月もほとんど変化がないとはいえ、正確を期すなら前月号でなければ駄目だ、と、思い直したためである。
それに、手元には、�JAL�とか�JAS�の夏期ダイヤもないわけだ。
「週刊広場へ問い合わせてもいいけれど、ここは空港です。ここで何とかなるでしょう」
浦上は気軽く腰を上げて、レストランを出た。
そして、すぐに戻ってきた浦上は、八月号の時刻表を手にしていた。
「よかった。一階のインフォメーションに残っていましたよ。借りたいと言ったら、どうぞお持ちくださいとプレゼントされました」
浦上はほっとしたような笑顔で、薄汚れた大判の時刻表をテーブルの上に置いた。
松山空港には、東京、名古屋、大阪、福岡などの定期路線のほかに、広島と大分へ飛ぶ不定期路線があった。
犯行後、利用できそうなのは、二便だけだった。
十八時四十五分発 東京行き�ANA598便�
十八時五十五分発 大阪行き�ANA456便�
「でも、東京行きは無理ですね」
浦上は首を振った。
松山での、堀井の足取りは次のようになろう。
着陸後ロビーまで、小走りで=二、三分。
空港から現場まで、美津枝が運転するレンタカーで=六、七分。
犯行=四、五分。
現場から三津浜港まで、駆け足で=三、四分。
三津浜港から空港まで、タクシーで=十一、二分。
これだけで、ざっと三十分を必要とする。これに帰路の搭乗手続きを加えると、東京行きには間に合わない。
ぎりぎりで浮上してくるのが、十八時五十五分発の大阪行きだ。
この空路を、すでに東上している�ひかり162号�に直結させれば、今度こそ、本当の最後だ。
飛行機は大阪行きだから、最後の仕掛けは、大阪以降ということになる。
「冗談じゃないぞ」
浦上は、しかし、すぐに吐き捨てていた。�ANA456便�の大阪空港着は、十九時四十五分。一方、�ひかり162号�の新大阪駅発は、二十時だ。
「うまくいかないのですか」
澄子は、浦上の表情がふたたび沈んできたので、心配そうだった。
「十五分しかありません」
と、浦上はこたえた。自分自身に話しかけるような言い方だった。
大阪空港—新大阪駅間はタクシーで二十五分、と、�ANA�時刻表に記されている。これに、空港と駅での乗り換え時間をプラスするのだから、まず、絶対に、�ひかり162号�に追い付くことはできない。新大阪駅26番線ホームに駆け込むのが、早くて、二十時二十分前後となろう。
�ひかり162号�は新大阪どころか京都も発車して、次の停車駅名古屋へ向けて疾走中だ。