淑子の夫、宮本信夫に連絡したのは、本庁捜査一課から応援にきている中年の刑事だった。
横浜市鶴見区佃野町一三六 『松見アパート』5号室
それが、結婚二年になる宮本夫婦の住居だった。夫婦の間に、子供はいない。
アパートは、呼び出し音がつづいても、だれも電話に出なかった。
刑事は、宮本信夫の勤務先、横浜市西区戸部町にある、『日東カー用品』横浜支店にかけ直した。
ちょうど昼休みに入ったところで、宮本は近くの食堂へ出かけていた。
しかし、警察からの問い合わせということで、女子社員が、食堂まで駆け脚で呼びに行ってくれた。
待たされたのは、ほんの二分か三分だった。
「もしもし。東京の、上野西署の刑事さんですって?」
宮本も走り戻ってきたのだろう、息が弾んでいる。
刑事は、改めて、電話に出た宮本の氏名などを確かめ、
「奥さんは淑子さん、二十九歳ですね」
と、死者の容貌を説明して、問いかけた。
「はい、その通りですが、淑子がどうかしましたか」
「奥さんは、昨夜、アパートへ帰っていないのではないですか」
「え? ええ」
「あなたは、奥さんの外泊先を承知しているのですか」
「淑子が、何をしたのですか」
と、反問してくる宮本は、テレビのニュースを見ていなかった。
今更、遠回しな言い方をするような、細かい配慮は必要あるまい。刑事はそう考え、ずばり、昨夜の、不忍池の殺人を話題に乗せた。
「殺された? 女房の淑子が上野公園で殺されたというのですか」
電話を伝わってくる声が、さすがに高ぶってきた。淑子の無断外泊は、これまでにもあったのかもしれないが、殺人となると話は別だ。
淑子と村松との関係に、恐らく手をやいていたであろう宮本も、顔色を変えた、という感じだった。
「確かに、淑子は、今朝になってもアパートへ帰ってきてません。でも、どうして、殺された女性が淑子であると分かったのですか」
『浅野機器』を退社した淑子は、宮本と結婚して現在、京急鶴見《けいきゆうつるみ》駅近くのコンビニエンスストア『浜大』へ勤めている。しかし、これはバイトのようなもので、身分証明書などは交付されていないし、『松見アパート』から歩いていける距離だから、通勤定期券も所持していない。
なぜ、淑子の名前が割れたのか、宮本が疑問に感じるのも当然だろう。
「淑子は、横浜で生まれ育った人間です。東京へなど、滅多に行きません。本当に、淑子ですか」
「浅野機器仙台支社の、村松俊昭さんをご存じですね」
「彼ら夫婦とは、今夜、顔を合わせる予定です。場所は、最終的には決まっていませんが、午後六時に、とりあえず横浜駅西口東急ホテルのロビーで、落ち合うことになっています。淑子も同席する手筈《てはず》です」
「夫婦四人の、談合の件は聞いています」
「ほう? 村松がしゃべったのですか」
「その村松さんがですね」
と、刑事が、淑子の身元確認者が村松であることを告げると、
「何ですって? 村松が死体安置所へ出向いたというのですか。何であの男が、人を出し抜いたまねをしたのですか!」
宮本は怒り声に変わった。