村松俊昭は、上司の名前を、憎しみを込めて呼び捨てにした。
「手塚はぼくより二つ年下の三十三歳。独身でしてね、女たらしの、典型的なプレイボーイです」
と、村松はつづけるのだが、これは、言ってみれば、女房を寝取られた男のことばだけに、割り引いて聞く必要があるだろう。
清水部長刑事は、その村松をうながして、池畔の殺人現場を離れた。
「そうですか」
部長刑事は、砂利道の柳の下を、京成上野《けいせいうえの》駅の方向に歩きながら、
「奥さんが親しくされている男性も、同じ会社の人でしたか」
と、いまや完全に焦点のひとつとなってきた、『浅野機器』について尋ねた。
それは資本金三千万円、従業員百人の同族会社だった。
本社は横浜市中区万代町にあり、工場は神奈川県下の藤沢。そして、支店を仙台、金沢、神戸、高松、長崎に置き、広い規模での営業活動をしていた。
事業内容は、病院、医院の調剤薬局を対象とした、設備機器等の企画製造販売である。
「我社《うち》は、クリーンルームという、手術用無菌室の分野で、大きく進出しておりましてね」
設立以来十二年で、急成長を遂げている会社、ということだった。
しかし、村松自身は、仕事への意欲を失いかけているようだった。こうしたトラブルがつづけば、仕事をする気がなくなるのは当然だ。
「ここで、帰ってもいいですか」
村松はJRのガード下まできたとき、うんざりしたような声で言った。
「そうですな。刑事課長にも会っていただきたいし、恐縮ですが、本署で、もう少し話を伺わせてください」
部長刑事は、飽くまでも下手に出た。
私生活が乱れ切っている男。そして、現場不在の証明が難しいことを、自ら打ち出してきた男ではあるが、村松は殺人事件の被疑者というわけではなかった。
二人は、さっきと同じように新聞記者を避けて裏門から、上野西署へ入った。