早速横浜へ電話をかけたが、谷田はまだ帰宅していなかった。
「連絡がないから、もう戻ってくると思うんだけど」
と、谷田の妻はこたえた。夫がかわいがっている後輩なので、浦上に対する口調には特別な親しみが込められている。
「それにしても浦上さん、急に仙台出張とは驚いたわ。そっちは寒いんでしょ。夜ふけまで飲み歩かない方がいいわよ」
「先輩の帰宅を、ホテルでおとなしくお待ちします」
浦上はホテル名と電話番号を告げて、電話を切った。
ビジネスホテルなので、大した設備はないが、一階のレストランが午後十一時まで開いており、アルコールを出していることが分かった。
浦上はいったん部屋へ入り、シャワーを浴びてから出直した。
レストランはテーブルが五つに、カウンター席という小さいものだった。意識的にそうしているのだろう、照明が暗かった。
客席は半分ほどが埋まっている。
浦上はカウンターに陣取り、水割りのダブルを頼んだ。
村松とかき料理屋で飲んだ地酒は、半端な酔いを浦上に運んでいた。酔いが半端であるのは、村松に二重丸を付けたことに起因している。村松は『浅野機器』本社から直行すれば、十分、殺人可能なのである。
�高島屋のアリバイ�が、村松の事前工作であるならば、村松は二重丸どころか、三重丸となる。
一刻も早く、この発見を谷田に伝えたい。そして、発見の裏付けをとりたい。そう考えると、地酒も、水割りのダブルも、もうひとつ、浦上を酔わせない。
待っていた呼び出し電話が横浜からかかってきたのは、二杯目のダブルを空にし、三杯目をオーダーしたときだった。
カウンターの端に載っている白い受話器を取ると、
「おい、おかしなことになってきたぞ」
谷田の太い声が、がんがんと響いてきた。
「待ってくださいよ、先輩」
浦上は、性急な谷田を制して、仙台での発見を言った。
レストランの従業員や、客を意識した小声で、
「女房の真理が言う通りで、村松が真犯人《ほんぼし》かもしれませんよ」
と、浦上が強調すると、
「なるほど。それも無視できないか」
谷田の、電話機を伝わってくる口調が、変わった。
「しかし、それは、飽くまでも、仮説の問題だよな」
「何を言ってるのですか。すべては仮説から出発するのではありませんか」
「それはそうだが、オレは物証らしきものをつかんだ」
「らしきもの、とは何ですか」
「福島の果樹園の短冊だ」
谷田は、いささか興奮した声になった。高ぶる自分を抑えるようにして説明したのが、�鳥取みやげ�の正体だった。
「おい、宮本は、何ゆえ、福島の梨を、鳥取産と偽らなければならなかったんだ」
「宮本は、うそをついているのですか」
「宮本の言動が純朴そうだからって、上辺に惑わされてはいかんぞ」
「そんなことは分かっていますよ」
と、浦上はこたえて、谷田に劣らない緊張が、体内に走るのを感じた。
みやげにした梨の操作が事実なら、宮本は、三人の容疑者の中でも、もっとも大きな存在となってくるかもしれない。
「実行犯が宮本なら、不忍池での凶行を終え、上野駅へ引き返したときに、構内で売られていた、梨のかご詰めに気付いたのでしょうね」
と、浦上は言った。
みやげは、キヨスクの梨を見て、場当たり的に思い付いたことだろう、と、浦上が考えるのは、その気なら、事前に用意することが可能だったからである。そう、実際に鳥取の梨を、鳥取からぶら下げてくればいいではないか。
犯行時には駅のロッカーなどへ入れておき、殺人完了後にロッカーから取り出せば、事足りるはずである。
「確かに、�鳥取みやげ�は、先輩が言う通り、京都から横浜へ直行したことを、強調するためのものだったのでしょう。でも、宮本が真犯人《ほんぼし》なら、結果的に墓穴を掘ったことになります」
「なるほどね、思わず知らず目に入って、咄嗟《とつさ》の思い付きで買ったみやげってわけか」
「それにしても先輩、松見アパートまで行って、かごの底から短冊を見つけ出してくるなんて、恐れ入りました」
「幸運は、まだ二日しか経っていなかったってことだよ」
「うん、それはそうかもしれませんね。これが、一週間か十日先の取材なら、かごは残っている方が奇蹟です」
「しかし、オレはいま有頂天で鶴見から帰ってきたけど、きみの仙台での発見も、小さくはないな」
と、谷田はまた口調を改めた。
確かに、そうだった。村松の場合は、関内の『浅野機器』本社を出発してから上野公園へ行く時間と、上野から横浜へ引き返してくる時間を、はっきり想定することができる。
最後までアリバイが裏付けられなければ、この想定が、ものを言ってくるだろう。
だが、宮本の方は、犯行後の、上野−鶴見間のルートは問題ないわけだが、山陰本線から京都経由で不忍池へ行く時間が、まだ分析されていない。
「もう一度、宮本に会わなければなりませんね」
「おい、今夜、深酒はやめるんだな。明日は、できるだけ早く、仙台を発つことだ」
「飲んだところで、ろくに酔えそうもありません」
「オレも明日は、朝駆けで、淡路警部をマークする」
『ホテル・サンライズ』で、真理とフランス料理を食べたのが、手塚の替え玉かどうか、淡路警部が懸命に洗っている、と、谷田はつづけ、
「手塚、宮本、村松。本当にすっきりしないやつらだ。三人それぞれに無実を主張するなら、無実であることの、明確な裏付けを持ってこいっていうんだ」
独白的に、そう言って、電話を切った。